高天神城(静岡県掛川市)その4

 

楔(くさび)

武田軍が籠もる高天神城の落城は、

天正九年(1581)三月。

その僅か一年後の天正十年三月、

織田軍の滝川一益に

追い詰められた武田勝頼は自刃

武田氏は滅びました・・・。

案内図に徳川の城を赤色、

武田の城を黄色と

色分けしてみると、

高天神城の重要性が良くわかります。

真ん中の高天神城が落ちた後、

東側二つの武田の城も

熟柿が落ちるかの如く

家康の手中となったのでしょう。

兵力を分散するのではなく、

拠点に楔を打つという

徹底した家康の戦い方が、

功を奏したという訳ですね。

本日のルート

高天神城は見所が多く、

すでに当ブログも4回目(笑)

今回のルートは

高天神城跡略図に

記入してみました。

高天神社から

赤丸の馬場(馬場平)、

犬戻り猿戻りの険、

青丸の二の丸、堂尾曲輪、

そして、

緑丸の搦手門へと向かいました。

馬場平

馬場と名前がついていますが、

馬がいたにしては

高過ぎる場所です・・・。

高天神社から馬場平へは、

堀切を横切って進みます。

馬場平。

案内には

「馬場とは番場のあて字で、

見張番所があったと思われる。

昔はこのようにあて字が多い。

山の高い所を馬場といわれる事が、

少なからずあるようです。」

このように書かれています。

なるほど~!

これでまた知識が増えましたね(笑)

遠州灘や横須賀城方面も見渡せて、

確かに見張りには最適です。

犬戻り猿戻り

掛川城天守内の映像で知ったのが、

犬戻り猿戻りという山道です。

犬も猿も、戻ってくるほどの

険しさという意味でしょう。

馬場平の西端へ。

「甚五郎抜け道」

「天正九年三月落城の時、

二十三日早朝、

軍監横田甚五郎尹松(ただまつ)は

本国の武田勝頼に

落城の模様を報告する為、

馬を馳せて、

是より西方約一千米の

尾根続きの険路を辿って脱出し、

信州を経て甲州へと抜け去った。

この場所を別名

犬戻り猿戻りともいう。」

このように書かれています。

横田甚五郎尹松は、

武田氏滅亡後、

家康の家臣となり、

子孫は、江戸時代、

旗本として繁栄しています。

やはり

「命を惜しまず主君に尽くした」ことが

家康の心に響いたのでしょう。

ここからスタート。

細い道の両側は、

落ちたら死ぬであろう(笑)

「人戻り」したいくらいの

断崖絶壁です!

三角形の頂点を歩いている気分・・・

谷底・・・

こんな難所もあります。

このベンチで休む?

いやそんな暇はありません(笑)

そして、景色をみると・・・

下界が見下ろせます。

ずっと登山する気力は無いので、

犬戻り猿戻りの体験は

ここまでで終了し、

引き返します。

帰りも両脇は怖~い絶壁(汗)

やはり

これだけ険しい場所ならば

徳川の兵たちも

追う気になれなかったかもです。

二の丸

無事、馬場平に到着。

ここから高天神社へ。

石段おりて一旦井戸曲輪へ。

二の丸への案内。

右側には

「ガケ地危険」の案内がありますが、

僕と妻は思わず

顔を見合わせてしまいました。

というのも、この道、

犬戻り猿戻りに比べれば、

片側は山肌だし、

道幅も広く、

めっちゃ安全なんですからね(笑)

帯曲輪跡。

二の丸跡

本間丸尾兄弟墓碑

二の丸下方にあるのが、

本間丸尾兄弟墓碑です。

お堂と墓碑。

参拝。

後ほど訪問した

堂の尾曲輪の案内には

次のように書かれています。

「天正二年五月、武田勝頼来攻、包囲、

6月28日猛撃、二の丸主将、

本間八郎三郎氏清、

部下300騎を率いて

此所の物見櫓に上り、城兵を指揮した。

同日卯の刻(朝6時)

武田方、穴山梅雪(信君)の部下

西島七郎右エ門、

朝日に輝く氏清の武装を狙い、

鉄砲を撃った。

氏清、首の近くを撃たれ、

本丸に運ばれ介抱を受けるも10時、

行年28歳をもって絶命した。

弟、丸尾修理亮義清、

兄に代わり櫓にて指揮中、

同日午の刻、狙撃により胸部を撃たれ

即死した。行年26歳であった。

墓碑は後裔本間惣兵衛が

元文二年(1737)に

建てたものである。」

裏側には「南無阿弥陀仏」

横には、

「天正二甲戌六月廿八日

於此場所討死」

このように刻まれています。

こちらは、明治時代に建立された

天正二年戦死者碑で、

建てたのは、

丸尾さんの子孫の方のようです。

二の丸堂の尾曲輪

次は堂の尾曲輪へ。

堀切。

曲輪内部。

先程の本間丸尾兄弟の

奮闘ぶりなどが書かれた案内。

隍堀(からぼり)址

次は、二の丸に残る、

武田時代の隍堀へ。

ここでの案内が

空堀ではなく隍堀なので、

漢字はこちらを使っています。

年月が経ち、

浅くなっているかも知れません。

妻に降りてもらうと、

意外と深いことが判明!

やはり比較対象は大事です。

搦手門

次は搦手門へ。

搦手門まで行くのに

歩きだと近いのですが、

追手門の駐車場までは、

かなりの距離になるので、

一旦、追手門駐車場に戻り、

車で搦手門の駐車場へ行くことに決定。

駐車場から城へ。

ここにも天神社の鳥居が建っています。

搦手門跡に到着。

遺構らしきものは

見当たらず・・・。

搦手門駐車場に隣接する

小山に登ると、

高天神城の全景が見渡せ、

一城別郭式の縄張りが、

よくわかり、大いに楽しめます。

最後にツーショットで〆。

中身が濃いすぎた高天神城

これにて攻城は完了です!

 

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