高泊神社(山口県山陽小野田市)前編
山口県の神社
旅の起点である福岡県の
お隣という事もあり、
山口県の神社には、
それなりに多く参拝しています。
近年、
宇部市、山陽小野田市の神社を
少しずつ巡っていますが、
行きたくなる神社が多く、
しかも実際に参拝すると、
想像を超えた素晴らしさに、
つい長居をしてしまい、
後半の予定をカットする事も
しばしばあります。
もちろん、これは、
嬉しい悲鳴なんですけどね(笑)
神仏習合の名残?
高泊神社の社頭から
まっすぐ伸びた本参道を
200mほど行くと、
そこには弘法大師像を祀った、
小さなお堂があります。
実は参拝後、車での帰りがけに
お堂の存在に気づいたのですが、
見つけられてラッキーでした(笑)
駐車場から本殿は近いのですが、
まずはスタート地点の一の鳥居へ。
一の鳥居。
参拝はここからでしたが、
実はこの背後に
お堂があったのです。
参道の起点部分。
こちらは御旅所でしょう。
御旅所後ろの竹林に
小さなお堂を発見。
お堂へ。
美しく保たれ、
整然と並んだ仏具に
大切にされている感が
めっちゃ伝わってきます。
弘法大師様に参拝。
高野山の奥之院に参って以来、
なんだか弘法大師さんに出会う
回数が増えた気がします・・・
気のせいかな?(笑)
参道
駐車場から歩いて一の鳥居に到着。
ここから既に
拝殿、本殿の屋根までが、
見えていますね!
この一直線感と高台の本殿、
ちょっと鶴岡八幡宮を思い出します。
大切に配置された古い手水鉢。
新旧の幟柱。
参道左で見つけた
「御大典記念」の石碑。
昭和天皇即位の時ですから
100歳くらいかな?
石碑の横側に建つ燈籠。
何故ここに燈籠が・・・?
二の鳥居。
なんか水堀っぽい雰囲気。
石橋。
石橋の左側には
燈籠が一基あります。
石橋を渡り境内へ。
三の鳥居。
手水舎。
背後の木の枝ぶりも良いし、
なんともいい光景ですね〜!
手水鉢。
「高泊御開作新田記」
案内を書き出すと、
以下になります。
「寛文八年(1668)完成した
高泊開作の経過を
萩藩当職毛利就方の要請に基づき、
楊井三之允の口述を岡九郎右衛門が筆記、
土方傳右衛門が縁起風にまとめたもので、
同十二年に正副二巻を作成し、
正本を竜神堂(高泊神社)に、
副本を社家に納めた。
それぞれ三之允及び就方が
奥書(おくがき)している。
白文をもって高泊開作築立の経緯と
工事の経過を簡潔にまとめ、
石炭を里人が燃料として
使用したこと等も記している。」
高泊開作とは簡単に言えば、
新田開発などを目的とした
干拓事業のことで、
その工事の安全祈願をしたのが、
当時、「龍王島」という岩の島で、
高泊開作が完成し、
神様へのお礼として
その島に建立されたのが高泊神社です。
御祭神など。
拝殿
何かと道草しながらも
ようやく拝殿へ(笑)
すっきりした境内。
二対の狛犬が、
こちらを睨んでいます(笑)
阿形。手前のぽっちゃり型は
慶応三年(1867)、
拝殿近くの首長型が、
元治元年(1864)の寄進です。
元治元年といえば、
下関砲撃事件、と
長州藩滅亡の危機が目白押しの後の、
高杉晋作の功山寺挙兵で、
乾坤一擲の大逆襲という流れ・・・
長州(山口県)にとっては、
これ以上ない激動の年だったのを
常に(笑)思い出してしまいます。
吽形。
拝殿は、高床で高蘭付き。
参拝。
神紋は、藩主であった
毛利氏の家紋、「一文字三つ星」と
厳島神社の神紋、
「二重亀甲に剣花菱」の
二つがあるようです。
拝殿と本殿を撮影。
拝殿前にてツーショット完了。
この後は、岩の上の本殿や
境内社などを巡ります。
(続く)