徳川家霊台(高野山)

 

都合の良い解釈(笑)

徳川家霊台に参った時、

僕達の旅史上、

最高の土砂降りとなりました。

その場にいたときは、

気付きませんでしたが、

旅の後に起きた出来事や、

ブログを書きながら写真を確認すると

その土砂降りの雨の意味は、

理解できました・・・

霊台に眠る、家康さんと秀忠さん、

そして、二人の霊台を建立した、

家光さんの喜びの涙だったのです。

かなり?都合の良い解釈ですが、

こちらの写真を見ると、

確信してしまうのです・・・

徳川家霊台のエントランス。

何だか僕達を歓迎するかのように

無数のオーブが、迎えてくれています。

雨粒の反射かも知れませんが、

ここも都合良い方向で・・(笑)

徳川家霊台へ

奥之院には、

多くの大名たちの墓所がありますが、

徳川家康と秀忠のものだけは別な場所に

霊台が建っています。

料金所へ。

案内。

この案内よりも

Wikipediaの方が詳しいので、

そちらを抜粋します。

「霊屋は、秀忠の死の翌年に当たる

1633年(寛永10年)に

3代将軍家光によって造営が開始され、

10年の歳月を費やして

1643年(寛永20年)に

落慶法要が行われた。

江戸時代には「おたまや」

(御霊屋)と呼ばれていた。」

「霊屋(霊舎)は位牌堂であり、

向かって右に家康霊屋、

向かって左に秀忠霊屋の2棟が並ぶ」

このように書かれています。

激しい雨の中山門へ。

霊台の石垣は、

切込み接ぎ布積みで、

削り仕上げも施してあるようです。

将軍家の石垣ですから、

当時の技術の粋を尽くしたのは

当然のことなんでしょう。

さらに奥へ。

霊台へ。

手前が家康さん、

奥が秀忠さんの霊台。

まずは、家康さんへ。

家康さんは東照大権現という

神様なので鳥居もしつらえてあります。

土砂降りの雨が

良く分かる一品となりました!

レンズの水滴を拭くのも

めんどくさい位に降ってきます(笑)

この霊台は、

家光さんが大改修した

日光東照宮を彷彿とさせる

豪華な造りです。

徳川家には、家光さんの代までは、

潤沢な資金があったのでしょう・・・

しかし、

家光さんが使い過ぎたからなのか、

その後は・・・・(汗)

参拝。

向拝の蟇股の部分に注目。

雨で、霞んでますが、

何とか見えますね(笑)

Wikipediaを少しアレンジすると

「家康霊屋の向拝の

蟇股には虎の彫刻がある。

家康が1543年

(天文11年)の

寅年生まれという意味で、

その虎の両脇には、王が仁政を行うと

現れる霊獣とされる麒麟が彫刻され、

家康を称えることを意味する」

このようになります。

確かに麒麟が来てます(笑)

次に向かって左側の秀忠さんへ。

秀忠さんは人間(笑)なので、

鳥居はありません。

家康さんとほぼ同じデザインですね。

参拝。

そして、ここでも蟇股に注目。

Wikipediaをアレンジすると

「秀忠霊屋には兎の彫刻がある

秀忠が1579年(天正7年)の

卯年生まれであることにちなむ。

兎の両脇に虎が彫刻されているが、

これは秀忠が家康に見守られた

正当な後継者であることを意味する。」

このようになります。

兎の両脇に虎、確かにいますね!

虎から睨まれた兎にも見えますが(笑)

帰路につくと、途端に小雨に。

今日の注目

霊台前の賽銭箱に注目。

金剛峯寺の案内でもありましたが、

左側の五三の桐紋は、

高野山復興の恩人、

豊臣秀吉を称える寺紋です。

これを毎日見ている

家康さんの心中やいかに(笑)

 

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