豊榮神社(石見銀山)

 

百見は一聞にしかず?

豊榮とよさか神社の社頭には、

素晴らしい案内板があります。

以下が、案内の要約です。

「戦国時代、

石見銀山を支配した毛利氏は、

当初は山吹城に、その後、

ここに長安寺を建て、

毛利元就の木像を安置した。

その後、徳川の支配となり

寺は荒廃し、

木像は萩の本藩へ移されたが、

大森住民から木像在置の希望があり

毛利家は新しい木像を造らせ安置した。

時代が下り慶応二年(1866)、

大森へ入った長州軍は、

藩祖の木像があるのを知り、

浄財を募って本殿を始めとした

境内地を整備した。

中隊長司令祖武信頼ら

172名の隊士名が

境内の献納物に刻まれている。」

これを読めば、

大体わかりますが、

やはりガイドさんの説明はまた格別、

今でも耳に残っています。

記憶を書き出すと

「四境戦争(第二次長州征伐)の時、

ここに進軍した長州藩の人々が、

藩祖の木像がるのを知って、

「これは大変なものがある!」と驚き、

すぐさま境内を整備したんです」

こんな感じになります。

関ケ原の雪辱を心に誓い、

幕府へ立ち向かう長州藩兵たちが、

藩祖、毛利元就公を肌で感じ、

藩祖の木像に、

どれだけ勇気づけられたかは

計り知れません。

ガイドさんの言葉からは、

そんな長州藩兵たちの

高揚した気持ちがダイレクトに

伝わって来るのです!

ということで、

新たな諺、

「百見は一聞にしかず」は

誕生したのでした(笑)

ガイドさん、ありがとう!

境内

龍源寺間歩への行きがけに

社頭で先程書いた、

ガイドさんの説明を聞き、

その後、帰りがけに

自分たちだけでゆっくりと参拝へ。

神社全体を撮影。

社頭。

「第三大隊」の文字と、

燈籠の台座に刻まれた

長州藩兵たちの名前。

左側。

水桶には「勇力隊中」の文字。

この「勇力隊」、

石見銀山通信」という

ガイドさんのブログによれば、

お相撲さんで構成された部隊で、

「勇力隊」と改名される前は

そのまんまの名前で、

「力士隊」だったそうです。

随身門。

右側の随身様。

左側。

毛利氏の家紋があしらわれた門の蟇股。

内側から見た随身門。

拝殿。

拝殿の鬼瓦には、

毛利家の家紋「一文字三つ星」が、

三段階に渡って(笑)

あしらわれていますね!

右が拝殿、左が本殿。

本殿はまるでお寺のような形ですが、

これは元あった長安寺への

思いを込めたものでしょうか・・・

最後はこれで参拝完了です。

 

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