妻垣神社(宇佐市安心院)前編

 

例大祭との出会い

神社にとって一年で

最も大切な「例大祭」。

こんなおめでたい日に

偶然に参拝したのが、

今回の妻垣神社です。

全てが清められ、

多くの方々が集い、

神様のご神威も、

さらに高まっていた事でしょう。

参道

ナビを頼りに参道口に到着。

参道と平行して

細いながらも

車道も完備されています。

石橋と石畳、

いい雰囲気だ~!

「妻垣神社由緒記」

一部抜粋すると

以下になります。

「祭神

比咩大神ひめおおかみ

応神天皇(八幡大神)

神功皇后

由緒

妻垣山(ともかき山)は太古

比咩大神の御降臨された霊地にして

宇佐神宮第二殿と云われる八幡大神は

稱德天皇天平神護元年宇佐八幡

此の地に行幸駐輦の地に

同年十月八日勅使石川豊成に

八幡の神託有り神殿を創建し奉祀。

神功皇后は淳和天皇天長年間に

御載記し奉祀。」

ここで書かれた比咩大神とは、

玉依姫たまよりひめの事で、

鵜草葺不合命うがやふきあえずのみことの妻であり、

神武天皇のお母さんです。

貞享二年(1685)建立の一の鳥居。

神額には「八幡宮」と刻まれています。

ほぼ欠損もなく、文字も風化せず、

オリジナルのまま350年もの間

ここに建っていいるのが凄いですね!

石段は長い・・・(汗)

石段を歩く気力が無かったので、

こちらの親切な案内通り、

上の駐車場まで車で行く事に(笑)

駐車場。

ここから本殿まではあとわずか。

二の鳥居。

左側(吽形)の狛犬の前に置かれた案内額。

抜粋すると以下になります。

「慶安鳥居

慶安三年(1650)に寄進された。

平成三年(1992)

未曾有の台風により崩壊」

この鳥居の三十五年後、

貞享二年建立の

一の鳥居が今も健在なのは、

山陰に隠れて台風の影響が

少なかったからかも知れません。

これもまた・・運命・・・。

慶安鳥居の柱跡の崩壊再建趣意書。

反対側の柱跡。

平成十三年に再建された鳥居。

御社殿が見えてきました。

車がたくさん停まって、

人も多いな~なんて思っていたら

こちらが原因でした。

冒頭に書いた「例大祭」で、

昨日が、「献灯祭 ちょうちん行列」で、

僕たちが参拝した「本日」が、

例大祭となっています。

由緒。

御祭神については

先程の御由緒にあったので割愛し、

気になる部分を抜粋します。

「元宮

足一騰宮(あしひとつあがりのみや)

この妻垣の地は、我が国最古の歴史書

「古事記」にも「日本書紀」にも神武天皇が

この地に立ち寄られたことが記されています。

神武東征のおり、宇佐国造の祖、

宇佐津彦命と宇佐津姫命の兄妹がお迎えし、

足一騰宮を建てて歓待申し上げたのです。」

「天正九年(1581)

豊後大友軍の兵火によって社殿、

神宮寺のすべてを焼失しましたが、

その後、黒田長政公によって

社殿が再建されました。」

「松本清張と妻垣神社」

松本清張が新聞記者の時代から

妻垣神社や安心院町に、

何度も足を運び、

小説の舞台としても使われている事が

書かれいています。

松本清張記念館を訪問した時、

彼が、徹底した現場主義というのを

目の当たりにしましたが、

ここもその一つだったのですね。

御社殿

境内に入る前から、

妻垣神社のディープな世界(笑)に

浸らせてもらえたのは、

神社さんが準備されていた

懇切丁寧な「案内」「導き」のお陰です。

参拝前から、

僕はすでに妻垣神社に、

はまってしまいました(笑)

神門。

境内側からも撮影。

手水鉢。

素晴らしい雰囲気と

透き通った水、

あ~癒やされる~!

「海道東征」と妻垣神社。

海道東征とは、

皇紀2600年(1940)

奉祝のために、

北原白秋が

作詞した神武東征をモチーフとした、

壮大な交声曲で、

戦後の自虐史観から、

封印されていた曲だということを

僕は北原白秋の出身地、

柳川市の矢留やどみ大神宮

案内で知っていました。

まさかここで、

「海道東征」と再会するなんて、

なんという奇遇でしょう!

「海道東征」の公演案内。

北原白秋の故郷、柳川と

福岡市での公演となっています。

公演には行けないものの、

僕は、妻垣神社の由緒にあった、

「足一騰宮」が歌われているパート、

速吸やはすい莵狭うさ」をYou Tubeで聞きながら

これを書いています。

便利な世の中になったものだな~(笑)

拝殿。

参拝。

拝殿内には例大祭の準備で、

椅子が沢山置かれています。

御朱印は書き置きタイプ。

無事、授与いただき、

御朱印帳へ貼付完了。

拝殿から、幣殿、本殿へ。

幣殿。

本殿に参拝。

屋根の厚さからすると、

昔は茅葺屋根だったのでしょう。

御社殿全景。

本殿反対側にそびえるオオクス。

(後編に続く)

 

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