膳所神社(滋賀県大津市)城門編

 

城を愛する気持ち

明治初期、廃城となった膳所ぜぜ城は、

競売にかけられ、

文化財として保存される事もなく、

あっという間に取り壊されたそうです。

その一番の理由は、

維持管理がめっちゃ大変だったから。

建物を造るのは一時的なもの、

でもそれを長い間、

維持管理するのは至難の業。

そんな中で、幾つかの城門は、

移設され、今に残っています。

これは、

「お城の一部でも残したい」という

膳所城を愛する方々の強い意志が、

あってこそのものでしょう。

残してもらって良かった・・・

ありがとう、膳所の人たち!

表門

和田神社に移設された

膳所藩藩校遵義堂じゅんぎどうの門を見学後、

膳所神社へ。

社頭。

一の鳥居。

神額に屋根が付けられ、

大切にされていますね!

目指す移設城門も見えています。

「重要文化財 建造物

膳所神社表門 一棟」

案内を抜粋すると以下になります。

「この表門は、膳所城の二の丸と

本丸の間にあった城門と伝わり、

明暦元年(1655)の

銘札が発見されています。

門は、脇戸付き医薬門、

切妻造、本瓦葺きとなっており、

両開きの大扉の左側に脇柱を建て、

方開きの潜戸となっています。

本柱の心材には

それ以前の仕口が見られることから、

大津城の材の転用が考えられます。」

大津城は関ケ原の戦いの前哨戦で落城後、

その部材は、

彦根城築城でも使われていますが、

彦根城よりも距離的に近く、

また、

早期に築城された膳所城に

流用されたことは、

大いに頷けます。

狛犬と表門(旧城門)。

近影。

屋根には膳所藩主、本多家の家紋、

「右離れ立葵紋」が

あしらわれていて、

これが城門だったことを

物語っています。

振り返って反対側から撮影。

薬医門の特徴が

よく分かります。

北門

次にもう一つの移設門へ。

表門を入ると

左に手水舎、正面に

拝殿が見えています。

拝殿の手前を左に曲がると・・・

お〜高麗門ですよ!

膳所城の案内には、

「北門も膳所城の城門です。」

このように書かれていましたので、

どこの門だったのかは不明ですが、

やはり

膳所城の遺構には違いないでしょう。

外側から撮影。

規模的には小ぶりなので、

サブ的な門だったかも知れません。

シンプルながらお洒落なデザインで、

こちらも無逃せない遺構です。

(御社殿編に続く)

 

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