万世特攻平和祈念館/慰霊碑

 

中村晋也氏、二つの作品

朝イチで訪問した伊集院駅で、

稀代の彫刻家・中村晋也氏作の

島津義弘公銅像を見学した後、

万世特攻平和祈念館を訪れると、

なんとここにも

中村晋也氏の作品があったのです!

それは、

勇壮な島津義弘公とは対極的に、

家族や祖国を護るため、

澄んだ眼差しの中に悲壮感を隠した、

飛行服姿で立つ特攻隊員のレリーフです。

「生き延びる為に」に戦う、

関ヶ原の戦いに於ける、

島津の退き口での義弘公とは対極的に、

「今、命を散らさんとする」特攻隊員、

中村晋也氏の作品の両面とも言えそうな、

二つを連続して感じることができたのは、

散華された特攻隊員たちの魂が、

「先に義弘公を見てここに来てね!」

そう教えてくれたからかも知れません。

参道

実は僕たち、

正面からではなく裏道からいきなり

平和記念館に着いたので、

ここからは「正面から訪問した体」で

書いています。

万世特攻基地から多く飛び立つ

九十九式襲撃機の立体看板。

このインパクトがあれば、

迷う事はないでしょう!

メイン道路から入ると、

そこには燈籠が建ち並び、

祈念館への道は一般道なのに、

慰霊施設への

「参道」に見えてしまいます・・・

燈籠群。

この少し先が平和記念館です。

燈籠近影。

火袋部分には、

飛行機が彫刻されているものも・・・

ここで妻が雄叫びを!

「水戸って書いてあるよ!」

柱には、

「水戸陸軍航空通信学校

長岡教育隊第十中隊」

このように記されていますので、

もしかすると、

特攻機の突入信号を受信する

電信室にいた方々かも知れません。

「故 山田慧一

十七と四月の命

永らえて 今ぞ見えん

征きし我友々々」

なんと若い、悲しい・・・

橋の向こうに祈念館が見えています。

祈念館の前に欄干へ。

これは万世特攻基地を有名にした、

犬を抱く笑顔の特攻隊員たちですね・・・

祈念館のロゴ。

クレヨン画の特攻隊員。

祈念館に到着。

戦没者・殉職者慰霊之碑

館内に入る前、

2つの慰霊碑へと向かいます。

まずは入口右側、

戦没者・殉職者慰霊之碑へ。

正面。

「陸軍萬世特攻飛行場建設時殉職者」

以下、抜粋です。

「碑文

この地万世に昭和十八年五月頃から

陸軍萬世特攻飛行場の建設が始まり

多くの人が動員され、

昭和二十年三月二十九日に

国防婦人部阿田地区勤労奉仕隊員

十三名が従事された。

午前八時三十分頃爆撃があり、

避難した新川の

林様方防空壕が直撃弾を受け、

全員が尊い犠牲者となられました。

ここに、その犠牲者のご冥福を祈り、

殉職者のお名前を刻し、

恒久平和の願いを込めて建立する。

殉職者名

(十三名のお名前は省略)

平成二十四年 萬世特攻慰霊碑奉賛会」

日本各地でこうして殉職された

勤労奉仕の方々は無数に

いらっしゃるはずですが、

慰霊碑が建立され、

お一人お一人のお名前を刻み、

ねんごろに弔われている例は、

恐らく稀かと思います。

慰霊碑に合掌。

特攻振武隊 航空戦隊慰霊碑

次にもう一つの慰霊碑へ。

エントランスの標柱。

参道横の燈籠の後ろに、

プロペラが見えています。

こちらは、

自衛隊の練習機のプロペラで、

ここ万世飛行場に配備された

陸軍三式戦闘機(飛燕)と

ほぼ同型のプロペラだと記されています。

「特攻振武隊 航空戦隊戦没者慰霊碑」

慰霊碑について

以下が記されています。

「主碑

高さ5.4m、幅1.16mの

徳山産みかげ石に、

大空を仰ぐ姿の

等身大特攻隊レリーフをはめこみ、

その下に祖国平和の礎となられた

戦没者の偉勲を末永く讃えんとする願いと、

旧町名「萬世」にちなんで

「よろずよに」の文字を

黒みかげ石に刻んであります。」

「よろずよに」

「揮毫者

筑波大学名誉教授 今井凌雪 先生

作者

鹿児島大学教授 中村晋也 先生

副碑

主碑に接してアフリカ産黒みかげ石に、

萬世基地から出撃して戦死された

特攻振武隊121柱、

飛行第六六戦隊72柱、

飛行第五五隊6柱、海軍第一正統隊1柱、

計201柱の部隊名、氏名及び

出撃(戦死)年月日が刻まれております。

碑文

アフリカ産黒みかげ石に刻み、

主碑右手前の自然石にはめこんでいます。

揮毫者 加藤利男先生

(南さつま市加世田津貫)」

こちらがアフリカ産黒みかげ石に

刻まれた碑文です。

「昭和十九年

太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、

すでに決定的段階を迎えんとしていた。

ここ加世田市吹上浜の地に、

戦勢転換の神機を期すべく

地元民学徒ら軍民一致の協力によって、

本土防衛沖縄決戦の基地

萬世飛行場が建設された。

昭和二十年三月二十八日より

終戦に至るまで、

陸軍特別攻撃隊、

振武隊の諸隊、飛行第六十六戦隊、

飛行第五十五戦隊の若き勇士たちは、

祖国護持の礎たらんと、

この地より雲表の彼方へと飛び立った。

一機また一機と。

征きて帰らざる者あまた。

或は空中に散華。或は自爆。

壮絶にして悲絶。

その殉国の至誠は鬼神も

これに哭するであろう。

終戦以来幾星霜、ここに祖国は、

その輝かしき復興をとげた。

われら生き残りたる者の心ある人々は、

英霊の魂魄を鎮め、

その偉勲を讃えんがために、

ここにこれを建立する。

昭和四十七年五月二十九日」

参拝。

中村晋也氏46歳頃の作品ですから

今から50年以上前なんですね!

しかもご本人は100歳近くになっても

今尚現役というのですから、

そんな思いも重ねてみると、

一層感慨深く作品を味わえます。

斜めから見るとより立体的です。

「よろずよに」の手前では、

早咲きの桜が・・・

散る桜、残る桜も 散る桜・・・

ご英霊の方々、

桜の花になって

ここに来てくれたのでしょうか・・

(続く)

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください