鐘楼〜開山堂へ(東京都上野公園)

 

ここでも芭蕉(笑)

旅をしていると

至る所で出会う「芭蕉の句碑」。

恐らく句碑の数日本一は、

芭蕉で決まりだと思います・・・

なんて以前も書いた記憶が(笑)

正直俳句に興味がない僕は、

「どこでも芭蕉」(ドラえもんの声で)

な〜んて、

大変失礼なことを言いながら(汗)、

各地でやり過ごしていましたが、

数年前、滋賀県、西教寺にある

明智光秀の妻を詠んだ句碑を

やり過ごして以来(笑)、

その残念感からなのか、

芭蕉に興味が湧いてしまい、

最近は芭蕉の足跡をたどり、

山形県の立石寺、岩手県の平泉、

そして、

滋賀県大津市の義仲寺にある

芭蕉のお墓に参るまでに

なってしまいました(笑)

そして、ここ上野公園には、

芭蕉の句碑はないものの

芭蕉の句は存在していたのです。

やはり、

「ここでも芭蕉」ですね(笑)

時の鐘

上野大仏の丘と細い道を挟んで

鐘楼が建っています。

見上げた鐘楼。

「時の鐘」

案内を抜粋すると

以下になります。

「花の雲 鐘は上野か 浅草か

芭蕉が詠んだ句は

ここの鐘のことである。

時の鐘は、

はじめ江戸城内で撞かれていたが、

寛永三年(1626)になって、

日本橋石町三丁目に移され、

江戸市民に時を告げるようになったという。

元緑以降、江戸の町の拡大に伴い、

上野山内・浅草寺のほか、

本所横川・芝切通し・市谷八幡・

目白不動・日県円通寺・

四谷天竜寺などにも置かれた。

初代の鐘は、寛文六年(1666)の造。

銘に「願主柏木好古」とあったという。

その後、天明七年(1787)に、

谷中感応寺(現、天王寺)で

鋳直されたものが、現在の鐘である。

(中略)

現在も時を守る人によって、

朝夕六時と正午の三回、

昔ながらの音色を響かせている。」

調べてみると

江戸での芭蕉の住まいは深川にあり

上野も浅草も3〜4Kmの距離だったので

「鐘は上野か 浅草か」

となったのでしょう・・・。

上野大仏の丘から鐘を撮影。

おでん&地酒フェス

この時点で、お昼の12時半。

変なホテルでお腹いっぱい

朝食をいただいたとは言え、

やはりお昼になれば腹は減るもの(笑)

僕たちの旅は、

「巡りまくる」のが基本で、

昼食はサッと済ませるのが恒例(笑)

しかし、コンビニ的なものは

近くになくて困っていたところ

食べ物フェスらしきものを発見。

世が世ならば、この辺りは

寛永寺根本中堂への参道や

伽藍が林立していた場所ですが、

そんなノスタルジックな気持ちより

今の頭は食べること(笑)

お〜やってますね〜!!

「おでん&地酒フェス」と

書かれていますが、

それ以外の食べ物もありそうなので

まずはフェス会場に突入。

少し回った結果、

焼き牡蠣屋さんで

焼きそばを注文(笑)

こちらがこの日の昼食。

もちもちした食感で、

大変美味しくいただきました!

東京国立博物館

お腹も満たされ

元気を取り戻した僕たち(笑)

このあたりが、江戸時代、

寛永寺の根本中堂があった場所です。

東京国立博物館前に到着。

特別展の案内。

僕たちは、東京旅行の一月半後、

中尊寺に行く予定なのですが、

僕たちが訪問するその時、

金色堂の仏像(国宝)たちは、

ここ東京に出張しているのです(笑)

こちらは現在(訪問時)の特別展、

「本阿弥光悦の大宇宙」です。

開山堂付近

博物館を右に折れると、

開山堂はもうすぐですが、

ここで

妻の大発見があったのです!

停まっているバス、

全てのナンバーが、

「3」がらみなのですよ!

「3003」「3000」

「・・・3」

こんなナンバーが見えています。

こちらは「3030」。

ラッキーナンバーが「3」の妻と

僕のテンションはMAXに(笑)

きっとこのバス会社の社長さんも

ラッキーナンバーは「3」のはず(笑)

バスに興奮しながらも(笑)

開山堂内に移設された

寛永寺旧本坊表門前に到着。

まずは、

開山堂参拝へと向かいます。

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください