針尾送信所・3号無線塔/佐世保市
YAGI
第二次世界大戦中、米英の電文に
「YAGI」という文字が、
頻繁に含まれている事を
不思議に思っていた日本軍、
なんとそれは「八木」という日本語で、
レーダーアンテナの代名詞的な
使われ方をしていたのです。
そう、僕たち世代なら知っている、
テレビアンテナを作る会社の
「八木アンテナ」の八木ですね。
このアンテナは、
現在の東北大学の八木さんと宇田さんが
対米戦争が始まる
15年位前に発明したもので、
当時このレーダーアンテナに米英は注目し、
改良を重ねて有効活用し、
第二次世界大戦初頭から、
大きな戦果をあげています。
かたや日本軍の首脳陣は、
八木アンテナに否定的で、
この技術には目もくれず(バカにして)
研究を怠っていました・・・
結果的に、
レーダーアンテナの圧倒的技術格差は
終戦まで埋まらず、
日本人が発明した先端技術が、
日本国自身に甚大な被害をもたらすという
なんとも皮肉で残念なお話となったのです。
戦争は敢闘精神の優劣ではなく、
最先端科学の優劣で決まるという、
冷酷な論理ですね・・・
こんな悲劇を繰り返さない為にも
歴史から学ぶということは、
日本の未来に直結する大切なものだと
改めて感じます。
事務所及び兵舎跡
ガイダンス施設的な案内所で、
一定の知識を入れた後は、
無線塔内部の見学へと向かいます。

入口。
竹で編んだ無線塔がお出迎え(笑)
ライトアップの案内もあります。
後日Xで見た画像では
3本の無線塔が実に幻想的で、
とても素晴らしいものでした。

事務所及び兵舎跡(基礎)。

100年前の遺構ですが、
ここにはテニスコートが、
併設されていたのですね!
1920年代には、
兵士の余暇や娯楽を考える余裕が、
まだあったのでしょう。

基壇(基礎部分)に上り、
3号無線塔を撮影。
3号塔通路
針尾送信所に来てからは、
急に天気が急降下して、
曇りから一時的には雪まで降ったのですが、
唯一青空が見えたのが、
3号塔の手前です。

急に塔の突端周辺が青空になり、
3号無線塔さんが、
僕たちを歓迎してくれているんだと
勝手に喜んでいました(笑)

この通路下には、
塔までの電線が埋め込まれている事が、
発掘調査により判明し、
現在は遺構として通行を制限して
保存していると書かれています。

突如として現れた、
「ハチに注意!」。
本州の至る所で見られる
「熊に注意」の看板に比べれば、
めっちゃ可愛いものです(笑)
ちなみに真冬だからか、
ハチは一匹も見かけませんでした。

もうすぐ無線塔ですが、
手前の木の形が何だか
無線塔のミニチュアのように
思えてしまいます(笑)
3号無線塔
遂に到着。

以下、案内の抜粋です。
「針尾送信所の無線塔は、
電波を発信するアンテナを支える
主塔として造られたもので、
高さ450フィート(137.16m)の
鉄筋コンクリート造
3基から構成されている。
各無線塔は、1000尺
(303.03m)の
正三角形に配置されている。
1、2号塔は大正7(1918)年10月、
3号塔は大正8(1919)年12月から
工事が始められ、
1号塔から順に大正11(1922)年
4、5、7月に完成した。
【無線塔の構造】
底部 外径:12.19m
○○○厚さ:76.2cm
頂部 外径:3.048m
○○○厚さ:22.86cm
基礎部 直径:24.38m
○○○○厚さ:91.5cm
写真1は基礎部の施工中の写真で、
鉄筋の配筋や、
中足場の構造が撮影されている。
コンクリートの打設作業は、
1日4フィート6インチ
(1.3716m)で進められ、
100回目で頂部に到達する。
塔の中に木の櫓のような足場を組み、
写真2のように、
ここに型枠・足場を引っかけて
塔の外側に吊るす仕組みになっていた。
現在、無線塔の中には、
写真3のようなアンテナケーブルの
振動を吸収する重錘(防振装置)や
ケーブルの維持管理用の
ウインチが残されている。」

大きさ比較の為妻登場。

中へ。

ウインチ。

真ん中を見ると・・

アンテナケーブルの振動を吸収する
重錘(防振装置)でしょうか?
この錘(おもり)の数を調整して
ケーブルの振動を
安定させていたのかな?

重錘のシルエットも
なかなか乙なものです!

先端を見上げると
その高さを実感できます。

こうして見ると、
もはや芸術作品ですよ!
そして、
途中に丸い足場がありますね。
点検作業用なのかな?

戦後はこの梯子で頂上まで登って
遊ぶ子供達がいたとか。
恐怖心よりも好奇心が
勝ったからでしょうが、
想像しただけで目が眩みそうです(笑)

これを登るなんて、
やっぱ恐怖だ〜(笑)
見張所
次に東野周辺へ。

「国指定重要文化財 附 見張所」
以下、全文です。
「3号塔は3基の無線塔の一番南端にあり、
図1の地図のように渦潮で有名な針尾瀬戸
(伊ノ浦瀬戸)から近い場所にある。
無線施設は重要な軍事機密であり、
外部の人を
近寄せられない場所であることから、
送信所の中で、
瀬戸の渦潮を見学するために外部の人が
一番侵入しやすい場所に造られている。
建設されたのは送信所が開局した翌年の
大正12(1923)年頃である。
見張所の価値は、
日本における早い時期の
鉄筋コンクリート構造物で、
細い構造にかかわらず崩壊することなく
残されていた点である。
雨を避け、日陰を造るため
傘を開いたような構造で、
柱の途中に円形の机のようなものが
取り付けられている。
傘部の直径は約4m、
高さは約3mである。」

ここが軍事施設とは思えないほど、
展望所然としていますね!

ここからは新西海橋が見えています。

海を背にして撮影。
この後、
電信室の見学へと向かいます。
(続く)