中川州男大佐之墓(熊本市)

 

鬼門守護

第二次異世界大戦末期、

米軍はペリリュー島に上陸。

2ヶ月間の頑強な抵抗の末、

昭和20年11月、

茨城県の水戸歩兵第二連隊を主力とした

ペリリュー島の日本軍守備隊は玉砕し、

隊長の中川州男くにお大佐は

本部としていた洞窟内で

自決されました。

その中川大佐のお墓は、

熊本城の「鬼門」である

北東に位置しています。

細川家廟所のある秦勝寺跡に程近く、

歴代藩主と共に熊本の町の鬼門守護を

任されているかのようです・・・

サクラ・サクラ

ペリリュー島からの最後電(玉砕報告)は、

「サクラ・サクラ」。

ペリリュー島への赴任前、

中川大佐は奥様に

桜を見に行こうと約束していたそうで、

その「サクラ」を最後電とし、

奥様へのメッセージとして

送ったものだと

僕自身、勝手に推測しています。

そんな「サクラ」の花が、

墓地近くでは満開に近い状態でした・・・

立田山配水池の正門。

この左側に駐車場があります。

トイレ前の満開の桜と駐車場。

ここから奥へ進みお墓を目指します。

ここは七分咲きくらいかな?

眼下に見える熊本市内。

お〜熊本城だ〜!

この光景を見れば、

熊本市民ならずとも、

めっちゃテンション上がりますよ。

加藤清正さん、

美しいお城を作ってくれて

ほんとありがとう!

桜を愛でながらの墓参りなんて、

ちょっと贅沢ですね・・・。

中川州男大佐之墓

墓域に到着。

少し降り・・・

先人の情報だと、

この先を右に曲がるはずです。

お〜ちゃんと案内がある!

有名な人三人のお墓案内。

もうすぐ。

到着。

昨年秋、妻がペリリュー島の戦いに

目覚めて以降、

僕たちは怒涛の如く、

ペリリュー島と関わってきました・・

筑波海軍航空隊記念館での

水戸歩兵第二連隊の特別展

映画パネル展

茨城縣護國神社での

水戸歩兵第二連隊の慰霊

映画「ペリリュー楽園のゲルニカ」の鑑賞、

そしてその集大成となるのが、

中川州男大佐のお墓参りです。

訪問時、丁度お墓の右後ろに

掃除道具があったので、

まずはお掃除からスタート。

掃除後は、

2週間前の鹿児島旅行での宿泊先、

ホテルサンフレックス鹿児島でいただいた

新品の水で墓石を濡らします。

ペリリュー島では

まともに水も飲めなかったはず、

どうか喉の渇きを潤してください・・

参拝。

墓石には中川大佐と奥様の

戒名が刻まれています。

墓石右側面。

「昭和十九年十一月二十四日

於南方ペリリュー島戦死時年満四十六歳

從五位 勲二等 功二級

陸軍中将中川州男」

戦死後は二階級特進して、

中将になられていたのですね・・

墓石左側の標柱。

「中川大佐はペリリュー島の戦いを指揮し、

米軍に史上最大の損害を与えた。

その激戦の中に在っても、

島民への心遣いを欠かすことはなく、

全島民の避難を決行し、

軍人以外の死傷者を一人も出さなかった。」

このように記されています。

国を、家族を守るために、

過酷な持久戦に持ち込み、

アメリカ軍に膨大な出血を強いて、

日本人の誇り高さと強さを

知らしめてくれた事は、

今日の安全保障につながり、

日本が平和を維持できている

大きな要因でもあり、

改めて、中川大佐ならびに、

玉砕された日本軍将兵への

感謝と哀悼の誠を捧げます・・・

お供えのお酒。

桜満開の靖國神社です・・。

遠い空から熊本を、

そして日本の行く末を

見守ってくれているであろう中川大佐。

この熊本の桜と靖国の桜で、

心安らかにお眠りください・・・

 

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