吉備津彦神社(岡山市)前編

 

池田家

吉備津彦神社について、

Wikipediaから抜粋すると、

「江戸時代になると

姫路藩主で岡山城主の

池田利隆が本社を造営した。

利隆は光政の誕生を期に

子安神社を造築した。

その後、岡山藩主池田忠雄により

本社・拝殿が造営された。

池田綱政が社領300石を寄進したほか

本殿を造営し、

本殿・渡殿・釣殿・祭文殿・拝殿と

連なった社殿が完成した

(元禄10年(1697年)に完成)。」

このように書かれています。

小牧・長久手の戦いで討ち死にした

池田恒興の子が、

姫路城を今の形にした池田輝政、

その長男が池田利隆で、三男が忠雄、

利隆の長男、光政は、

日本ではじめての庶民の学校、

閑谷学校を創設した人。

その子、綱政は、

あの素晴らしい庭園、

後楽園」を造った人でもあります。

池田家の面々、なんか凄いものばかりを

現代に残していますね。

長久手で亡くなった池田恒興も

草葉の陰から喜んでいる事でしょう。

岡山へ

岡山を意識しはじめて早5年(笑)

ようやくその夢の一部が叶ったのが、

今回の岡山の旅です。

博多駅の始発、東京行き、のぞみ2号。

博多から岡山までは、

1時間40分ほどの旅。

岡山駅近くの日産レンタカーで、

今回の相棒(車)と合流。

吉備津彦神社へ

岡山駅から車で15分、

吉備津彦神社に到着です。

社頭。

ここで、いきなり岡山名物、

備前焼狛犬の親分(笑)に遭遇。

存在感ある巨大な備前焼狛犬。

修復の跡はあるものの、

美しく手入れがなされていて、

社頭にふさわしい風格です。

吽形。

妻と大きさの比較。

境内案内図。

参道の左右には池が配置され、

それぞれの「島」には、

境内社があります。

参道右側の池。

参道左側の池。

一の鳥居から参道へ。

美しく整備された参道。

まずは、

右側の池に浮かぶ鶴島に鎮座する、

鶴島神社へ向かいます。

石橋を渡ると「鶴島」。

海上安全の神様、

鶴島神社に参拝。

次に参道左側の池に浮かぶ亀島へ。

亀島神社。

水の女神様、

市寸島比売命にご挨拶。

亀島から見た参道の神橋。

参道に戻り、少し歩くと

随神門が見えてきます。

随神門は、元禄十年(1697年)、

池田綱政公の造営。

(吉備津彦神社のサイトによる)

随神門の屋根。

幾重にも凝った装飾が重ねられ、

何だか、

ミルフィーユ(笑)みたいです。

随神門をくぐって中へ。

ここで目に入ってくるのが、

この大きな燈籠です。

(大きさの比較の為、妻登場)

切込み接ぎの石積技術の高さと

洗練されたデザインが、

目を見張るほど素晴らしいですね!

「安政四年(1857年)の建立で、

燈籠の高さは、11.5m、笠石8畳、

六段づくりの石段には、1670余名の

奉納者名が刻まれています。」

(神社のサイトによる)

向かって左側の大燈籠。

石段に刻まれた、

奉納者名がよくわかります。

手水舎。

石段の先は拝殿。

左右の大燈籠を同時に撮影したくて

動画も撮影。

案内板で再確認して、

いよいよ拝殿、本殿へ。

(後編に続く)

 

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