高野山・奥之院(10)

 

奥之院を深堀りするサイト

奥之院のブログを書いていて

気付いたことは、

奥之院を深堀し、

詳しく案内した素晴らしいサイトが、

いくつも存在することです。

お陰様で、

僕の曖昧な記憶を蘇らせられたり、

新たな発見があったりと、

大いに助けられました。

奥之院にどっぷりと浸りたい方には、

深堀りサイトでの予習はオススメです。

一の橋

奥之院の中間地点

「中の橋」からスタートして、

多くの墓所にお参りし

奥之院の入口である「一の橋」に到着。

ここまでの所要時間は約3時間半。

時間をかけて巡ることが出来たのも

4時半に早起きして、

朝食バイキングの権利も放棄し

和歌山市内のホテルを

出発したからこそのもの。

「早起きは三文の得」、

「損して得取れ」ですかね(笑)

一の橋のエントランス。

再度、奥之院へ。

来る時は左からだったので、

今度は右の道へ。

(道は途中また一つになります)

司馬遼太郎文学碑。

この中に書かれた、

「山上はふしぎなほどに平坦である」

このフレーズに大賛同(笑)

奥之院だけをとっても

アップダウンはそんなに多くないのです。

空挺落下傘部隊将兵之墓

最初は現代のつわもの達の墓へ。

先の大戦では、

インドネシアの

パレンバン油田確保のために

落下傘部隊が活躍した

話しか知りませんが、

空から敵陣真っ只中に降下し

散華されたであろう

落下傘部隊の御英霊たち・・・。

国を守る誠のお気持ちに

心から感謝を込めて参拝。

平敦盛の墓

「人間五十年

化天のうちを比ぶれば

夢幻の如くなり」

これは、織田信長が桶狭間への

出陣前、清州城で舞ったという

幸若舞「敦盛」の一節です。

その主人公、平敦盛の墓へ。

ちょっとわかりにくいのですが、

何とか案内を見つけました。

この時は「平敦盛」しか

目に入っていなかったのですが、

その上に「熊谷蓮生」という文字が

書かれています。

ちょっと高い場所ですが、

右側の石玉垣が空いたところ、

大きな五輪塔が二つ並んでいるうちの

左側の少し小さな方が平敦盛のものです。

しかし、ブログを書いていて発見した

奥之院を深堀りしたサイト、

クワウグワ記」によると

「一ノ谷戦いで敗れ、

馬に乗って沖の船へと

逃れていく敦盛を呼び返した直実が

心ならずも敦盛を討ち取るという

有名なお話しがあります。

後に無情を感じて出家した直実が

敦盛の菩提を弔うために建てた五輪塔と

直実の五輪塔が

寄り添うように並んでいます。

左が敦盛、右が直実の五輪塔です。」

このように書かれています。

「熊谷蓮生」は「熊谷直実」が

出家した後の法名だったのです。

何とも涙もののストーリーですね!

平敦盛の五輪塔と

半分見えてる(笑)

熊谷直実の五輪塔。

合掌・・・。

小田原北条家墓所

妻は、秀吉の小田原攻めで

滅亡した戦国大名、

北条氏が好きです。

(北条氏政の弟の系統は

小大名として幕末まで存続)

「滅びの美学」とかではなく、

恐らく、別世界と通じている

妻のアンテナがそう思わせるのでしょう。

そんな妻のお陰で、

山中城石垣山城小田原城にも

訪問することが出来たので、

北条さんには、

その御礼も兼ねての参拝です。

枝道が参道になっています。

小田原 北条家墓所。

立派な案内。

北条早雲以来の

北条氏の略歴が書かれています。

数珠を持ってお参りする妻。

参拝を終え、メイン通りに戻った時、

ふっと空を見上げるとこんな光景が・・・

朝から雨が続いていたこの日、

奇跡的に?

顔を出してくれたお日様です!

妻の思いが通じたのでしょうか・・・

北海道 松前 松前家墓所

神奈川(小田原)の次は、

北海道へ(笑)

幕末建てられた松前城は、

外国船の監視のための城で、

海側の防御は固かったものの

戊辰戦争では、

土方歳三率いる旧幕府軍の

陸上からの攻撃で落城しています。

松前家の墓所に参拝。

杉群

ここからは

ひたすら中の橋を目指し歩きます。

とにかくここは杉の巨木の宝庫。

さきほど見た弘法大師腰かけの石

大きな杉の木の下です。

参道脇の杉。

これが一番大きい杉かな?

いや、まだありそうです(笑)

(続く)

 

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