精矛神社・本殿(鹿児島県)

 

くわしほこ

精矛神社という名前は島津義弘の神号、

精矛厳健雄命くわしほこいずたけをのみこと」由来のもので、

「精矛」は「くわしほこ」と読みます。

何度見ても覚えられない、

神社名としてはトップクラスに

難解な名前ですが、

何回も言っていれば(笑)

いつか覚えられるかも知れません。

参道

廃仏毀釈で県内の全てのお寺が、

廃寺となった鹿児島県。

この余波は、藩主島津家にも及び、

福昌寺跡にある歴代藩主の

仏式墓碑の側面には、

明治の神仏分離令後、

新たに付けられた神号が

書き加えられているほど

徹底されていて、

ここ加治木で祀られている

島津義弘もやはり神道形式となり

明治時代初期、

精矛神社が創立されています。

鹿屋航空基地史料館から

高速を使って約1時間20分、

精矛神社の駐車場に到着。

「島津義弘と精矛神社」

以下、案内の抜粋要約です。

「精矛神社は島津義弘を祭った神社で、

ここは江戸時代に

加治木島津家の別邸扇和園が

あったところです。

慶長四年(1599)正月、

慶長の役(朝鮮出兵)の武功により、

加治木、国府、出水を含む

薩摩大隈国内の豊臣家の直轄地など

約5万石が、恩賞として

島津家に返還されました。

慶長十二年(1607)島津義弘は

帖佐平松から加治木の屋形へ移り、

加治木の町の基礎をつくりました。

島津義弘は元和五年(1619)七月、

加治木屋形で亡くなり、

島津本家の菩提寺福昌寺墓地に

葬られました。享年85歳。

また、伊集院の妙円寺には

義弘の影像が納められました。

本殿右側には、

義弘一行が朝鮮から帰国の際に、

持ち帰った洗鉢と石臼が

大切に保存されています。

帰路に船足を確保するために重石として

積み込まれたと伝えれれています。」

秀吉に取り上げられた土地なのに

返還された事が恩賞となるとは、

実質的な負け戦ですから

恩賞の原資がないのは

わかるとはいえ、

豊臣政権の断末魔ぶりを感じますね。

いや、

1599年には

秀吉は他界しているので、

徳川家康による豊臣氏弱体化の

一環としての差配かもしれません。

いずれにしろ、

力が無くなった親分は、

見捨てられるのは必定、

千利休と関白秀次の切腹、

そして朝鮮出兵、この三つが

豊臣氏滅亡へのプロローグだったのは、

間違いない所でしょう・・・

一の鳥居(推定)。

鳥居横の石積み。

盃状穴が見えていますので、

古い手水鉢なのでしょうか?

石段で上へ。

十の幟にテンション上がります!

「西郷どん」ロケ時の写真。

妙円寺詣りのシーンかな?(記憶にない)

二の鳥居(推定)。

手水舎へ。

ちょと可愛らしい(笑)

むくり破風的な屋根の形状。

龍神様からの聖水でお手水完了。

そして視線を上に向けると・・・

お〜こりゃシュールだ!

拝殿へ最後の石段。

拝殿前の巨大な燈籠に驚く妻。

拝殿。

4年前から新たなイベントが

始められていますね!

先ほどの案内に

「ここは江戸時代に

加治木島津家の別邸扇和園が

あったところ」

このようにありましたので、

扇和園→扇和宴なのでしょう!

人口減少と高齢化、

その他の事情もあり

多くの神社が廃れ、祭りも減る中、

一筋の光明を見た気がします。

外国人への案内。

参拝。

拝殿から本殿へ。

本殿に参拝。

ここでツーショット完了。

(続く)

 

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