島津家墓所(福昌寺跡)島津義弘の墓
島津義弘と猫
島津家6代〜28代とその親族が眠る
福昌寺跡の墓所。
島津義弘の墓も同じ墓域にあります。
関ケ原の戦いでの敗戦後、
家康本陣の前を通過して撤退した
「島津の退き口」として、
勇名を馳せた島津義弘は、
秀吉の朝鮮出兵時に7匹の猫を
連れて行っていたと言われています。
その理由は猫の目(瞳孔)を見て
時を知る為だったからですが、
想像するに猫好きでもあったのでしょう。
猫のお出迎え
明治始めに廃寺となる前は、
日本でも有数の規模を誇った福昌寺、
その広大な寺跡は玉龍中学・高校となり、
お墓の駐車場も学校の敷地にあります。

駐車場から墓所入口へと向かう途中、
僕たちを出迎えてくれたのが、
こちらの方です。

柔和なお顔の三毛猫です。
猫好きな島津義弘公の墓に行くから
それを知ってここに来てくれたのかな?
島津義弘の墓
いきなり島津義弘関係者(猫)に出会い
僕たちのテンションは爆上がり(笑)

入口。
門の左右には気になるお札が・・

右側。
「立春大吉」と福昌禅寺と記された
祈祷札が貼られていますので、
福昌寺はどこに再興されているのかと
調べたら薩摩川内市にありました。
諸事情があり、
鹿児島市内での復活は
ならなかったようです・・・

門の左側。
「鎮防火燭」「立春大吉」の札です。
火除けのお守りみたいなものかな?

墓域。
恐らく往時には霊屋など
立派な建物もあったのかと思いますが、
今は至ってシンプルな
石の基壇の上に宝篋印塔が
ポツンと建つ形になっています。
島津義弘の墓は一番奥なので、
手前の「気になるお墓」を
先にお参りします。

島津義久の墓。
義弘の兄で、
龍造寺隆信との沖田畷の戦いに於いて、
島津得意の戦法「釣り野伏せ」を使い、
勝利をおさめ、九州の覇者となり、
関ヶ原の戦い後は、
徳川家康との交渉の末、
本領安堵を勝ち取り、
明治維新まで繋げた人物です。
質素な墓石とは対照的に
背後の石垣は簾仕上げの上等品で、
島津の権威を感じます。

島津貴久の墓。
家久、義弘の父で
「いろは歌」で有名な(鹿児島では?)
日新公(島津忠良)の嫡男。
父忠良から続く島津氏再興に貢献した人です。

島津久保の墓。
Wikipediaによると
「島津義弘の次男で、
朝鮮出兵時に現地で他界した人。
叔父、義久の娘と結婚し、
将来の後継者として期待されていた」
このように記されています。

遂に本命。島津義弘の墓前へ。

こちらは旅の最初に訪問した、
伊集院駅前に建つ島津義弘公の銅像です。
この勇壮極まりない方が、
ここに静かに眠っているのですね・・

シンプルな宝篋印塔が一つのみの
簡素な墓所となっています。

塀の上からは参拝する僕たちを
見つめる猫ちゃん。

墓守猫とでも言うのか、
それとも・・
義弘さんが来てくれたのか?

参拝。
猫&宝篋印塔、
なんか絵になりますな〜(笑)

猫に癒された参拝後は再び門へ。
(続く)