鹿屋航空基地史料館/内覧

 

特別な思い

鹿屋航空基地資料館訪問の主目的は、

零戦の破片を見る事です(笑)

その破片とは、

映画とテレビドラマ化された

百田尚樹氏の著書、

「永遠のゼロ」の中で、

米空母への突入シーンの

モデルになった(と言われる)

富安中尉が、

昭和20年5月14日、

空母エンタープライズへの突入時、

乗組員だった方が破片を拾っていて、

近年、アメリカから

郵送されて来たものです。

恐らく妻の前世は、

富安中尉と同じ、

筑波海軍航空隊の特攻隊員なので、

昨年末、筑波を訪問した際に、

富安中尉の事をより詳しく知った妻には、

「破片」には、

特別な思いあったことでしょう・・・

アプローチ

二式大型飛行艇を見学後史料館へ。

謹書は二階堂進氏ですね。

この方、昔の国会議員ですが、

その実家は重要文化財になるほど

由緒ある家柄のようです。

訪問時は知らなかったのですが、

後から調べると戦艦比叡の主錨でした。

ここを全て巡るには、

3時間以上必要でしょう(笑)

今回は二式大艇と館内のみの観覧で、

US1など多くの飛行機等はパスしています。

慰霊碑などを遥拝。

資料館正面。

館内展示

入館。

写真撮影可能な範囲は、

8年前に来た時よりも緩和されています。

大刀洗平和記念館でもそうでしたが、

やはりSNSなど時代の流れが

そうさせているのでしょう。

ロビー。

「夕映桜島」素晴らしい!

「特攻隊の像」

作者の経歴などを抜粋します。

「製作者 福島精彦氏(昭和6年生)

出身県 長崎県 島原市」

「製作者は重度障害者という

不利な条件の心身に鞭打ちつつ、

東に予科練出身者居ると聞けば

御母堂と共に走り、

西に航空関係者ありとみれば馳せ参じ

「悠久の大義に殉じた特攻隊員の勇姿」を

創作するため

刻苦勉励されたのであります。」

言葉がありません・・・

「本人の証言を直に聞く」、

これほど作品に魂が入ることは

ありませんから!

キリッとした目の奥、そして唇に、

大きな決意と、

果てしない悲しみを感じます・・・

「掩体壕」の破片。

特攻隊員と市民の交流。

神雷部隊(桜花での特攻隊)の

宿舎になった里野国民学校における

運動会などの写真です・・・

死を目前にして、

笑顔で市民と交流する姿、

涙しかありません・・・

第5航空艦隊司令部壕。

昭和20年2月頃から、

鹿屋基地の機能の多くは、

地下に移転されています。

地下壕が残っていれば、

入ってみたいものです・・

爆撃機銀河によるウルシー特攻のジオラマ。

「梓特別攻撃隊」と名付けられた

この時の特攻では、

二式大艇が先導機として3機が参加し、

そのうち一機は未帰還となっています。

左下の楠木正成の息子、

楠木正行(まさつら)の辞世

「帰らじと兼ねて思へば梓弓

なき数に入る名をそとどむる」

この「梓」から攻撃隊の名前が

付けられたのでしょう。

高師直との戦い(四條畷の戦い)の前に

死を覚悟して詠んだ句で、

特攻隊の心境と通じるものがあります・・

復元「零戦」

展示室に入り、撮影可能な零戦へ。

この機体は、

錦江湾と吹上浜に沈んでいた

2機の零戦のパーツ使って

復元したものです。

正面。

右斜め前方。

右斜め後方。

左後部。

空母への着艦フックもありますが、

戦争末期になるとその空母自体、

もはや無きに等しく、

着艦フックも無用の長物となった事を思い、

少し虚しい気持ちになります・・

操縦席内も忠実に再現されています。

妻、大満足(笑)

P2J哨戒機(体験)

次に操縦席体験などが出来る

「P2J哨戒機体験場」へ。

模型。

現在運用されている

P1哨戒機の2世代前の機体です。

機内再現。

隊員になりきる妻(笑)

本物の機種部分。

貴重な機長体験(笑)

発進準備OK!

離陸。

緊急停止!?

意味がわからんまま楽しむ妻(笑)

富安中尉の新情報

遺品などの展示は全て撮影NG。

ということで、

冒頭の富安中尉の機体破片も

それがアメリカから

送られて来た時の封筒も

見るだけでしたので、

今は記憶の中に留めておりますが、

この破片の見学をきっかけに

富安中尉のことをさらに知りたくなり

調べていたところ、

驚くべき事実を知ったのです!

以下、その内容です・・

「富安中尉の姪(弟の娘)は、

童話作家の富安陽子さんで、

近年、

富安中尉がエンタープライズ突入時に

衣服のポケットに入っていた50銭紙幣が、

エンタープライズの水兵だった方から

富安陽子さんに遺品として返還され、

しかも遺品返還の連絡があった日は

富安中尉の命日(5月14日)だった」

このエピソードは破片と並び、

本当に奇跡的な事だと思います!

安冨中尉の魂が、

「陽子ちゃん、

平和な日本が続くよう、

童話の中で語ってほしい!

そして、叔父さんのような

悲劇を二度と繰り返さないよう、

戦争の真実を伝えてくれ!」

そう言って、

童話作家の姪に

自らの願いを託したのでしょう。

「虎は死して皮を留め、

人は死して名を残す」

間違いなく安冨中尉は、

名を残しています・・

パネル展示

最後に見たのは、

坊ノ岬沖海戦のパネル展示です。

「坊ノ岬沖海戦」。

案内を要約すると以下になります。

「昭和20年4月7日、

大和と共に運命を共にした

伊藤整一中将(死後大将)は、

福岡県出身で享年は54歳。

息子の伊藤叡(あきら)海軍中尉は、

海軍兵学校(72期)で、

大和が沈んだ21日後の4月28日、

鹿児島の出水基地から沖縄方面に出撃、

伊江島付近において敵戦闘機と交戦し、

未帰還となっています。」

ネット情報によると、

伊藤叡中尉は筑波航空隊で教官をしていて

その後、出水基地に赴任、

B29の迎撃要員として

戦闘を繰り返し、

その後沖縄で散華されているようで、

343空の林大尉が亡くなった

4月21日もB29迎撃に

向かわれていたようです・・・

また、筑波航空隊と言えば、

富安中尉も同じ筑波空ですから、

もしかすると接点があったかも

知れません・・・

戦況図。

制空権も制海権も無いのに

素っ裸同然で突っ込まされた

大和以下の艦艇の乗組員、

その胸中や如何に・・・

戦艦大和の模型。

大和と共に沈んだ

軽巡洋艦「矢矧(やはぎ)」の模型。

小学生の頃、

矢矧のプラモデルを作り、

その洗練されたカッコ良さに

惚れていた僕です(笑)

戦艦大和の「盾」となり、

多数の魚雷を撃ち込まれた矢矧・・

その矢矧の完成日は、

僕たちの亡くなった息子の

誕生日と同じ日です・・・

今、息子は僕の心の盾でもあり

自分の生きていく指針でもあり、

日付は偶然の一致とはいえ、

何かの縁(えにし)を

感じずにはいられません・・

今日の注目

敷地内のお土産店にあった

こちらに注目です。

テレビドラマ「永遠の0」の

セットとして使われた

零戦のコックピットです。

妻は乗ってみたそうでしたが、

無謀なことは止めました(笑)

 

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