2021/11/25
名古屋城(名古屋市)後編
家康の息子達
幕府の跡継ぎバックアップとして、
徳川御三家を形成したのは、
徳川家康の九男義直(尾張徳川家)、
十男頼宣(紀州徳川家)、
十一男頼房(水戸徳川家)。
八男まではどうなったかと言えば、
長男の信康は切腹、
次男の結城秀康は福井藩主、
三男の秀忠は二代将軍、
四男忠吉は、
関ヶ原で薩摩軍からの
銃撃の戦傷もあってか、
関ヶ原の戦い7年後に亡くなり、
五男信吉も若くして病没、
六男忠輝は改易、
七男、八男は夭逝。
関ヶ原の戦い後に生まれた最後の三人が、
その後の幕府を支え、
家康さんの思惑通り、
暴れん坊将軍(笑)吉宗や
大政奉還の慶喜なども輩出して、
見事、使命を果たしています。
家康さんの先見の明も凄いですが、
神様からの愛され具合も
驚異的ですね(笑)
二の丸
天守を堀の外側から眺め、
清須櫓を散策後、
次に向かうのは本丸ですが、
その前にちょっとだけ二の丸へ。
清正公石曳きの像。
今も当時のまま残る、
名古屋城の天守石垣は
築城名人の加藤清正の普請。
ここでも清正さん、人気者ですね!
僕達が見た銅像だけでも、
恐らく5~6体はあるでしょう。
二の丸から見た本丸、
東南隅櫓と本丸表二之門。
二の丸と西の丸の間は、
五か所あると言われる防御施設、
「鵜の首」のうちの一つかな?
ここの算木積みの石、巨大です。
本丸の枡形虎口
西の丸から本丸へ。
本丸表二之門。
凄い!
鉄板で覆われて、
威厳たっぷりですね。
枡形の二之門なので、
定番の高麗門で、
鉄の扉が比翼の下に
収納されています。
枡形。
ここで、後から来た観光客を
ガイドしていた男性が、
「こちらが柳川藩、田中忠政の石垣です」
と言って観光客に指差したのがこちら。
この時、僕たちの耳は、
「田中吉政」と信じて聞いていましたが、
後から動画を見ると、
間違いなく「忠政」(吉政の息子)と
言っていますし、
実際に吉政さん、
名古屋城普請の前年に
この世を去っていました・・・。
妻が興味津々でフレンドリーに
ガイドさんに相槌を打っていると
この石に「田中忠政」と
刻まれていますと
いつの間にか、
僕たちの方に向かって、
説明してくれていました(笑)
本丸一之門の案内。
こちらは空襲で焼失し、
現在は石垣のみが残っています。
本丸一之門跡の石垣。
動画でも撮影。
この動画にガイドさんの
「田中忠政」という声が
残されていたのです(笑)
天守
門を入ると、
いきなり本丸御殿が見えてきます。
今回は時間が無いの外観のみの見学。
本丸御殿の案内。
ここも空襲で全焼・・・
しかし、
今は木造復元されて復活!
遂に本丸の天守へ。
手前は本丸御殿。
本丸御殿と天守を動画でも撮影。
近づくと大迫力。
(現在、中の見学は出来ません)
やはり、ここでこれを撮っておくしかない(笑)
下城
予定時間を大幅に過ぎ、
足早に駐車場へ。
本丸一之門の橋からの景色。
帰りながら、天守、西南隅櫓、
東南隅櫓を振り返って撮影。
う~ん素晴らしい!
今日のビックリ!
駐車場のレンタカーに戻って、
妻から教えられた事。
「あんたがお城好きやから
ナンバーも4646になってるよ!
しろしろ、城城だけに(笑)」
いや~これはなんという偶然!
ただただ、ビックリ、
そして、
さらに旅する心はヒートアップ(笑)