御手洗幼・小・中学校跡(呉市御手洗)
程よい大きさの町
御手洗地区は、
同じく江戸時代からの港町である
福山市の鞆の浦を
思い切りコンパクトにしたような感じで、
歩いて散策すると至る所に見所が出現し、
半日あれば、くまなく散策が出来る
ほど良い大きさの町なのです。
まあ、僕たちは3時間ちょっとの
超高速散策でしたが(笑)
学校跡へ
海辺の住吉神社から、
御手洗の町並みに入るとそこには、
江戸や明治から続く、古い建物が、
多く残っています。
「みたらい散策絵図」
「風まち、潮まち、港町。
江戸時代の中継貿易港
御手洗には、人が集い、
物が集まり、文化が育った。
町には江戸から明治、大正、
昭和初期までに建てられた
貴重な建物が混在している。
その栄華の残像が、平成の今、
日本文化を伝えてくれる」
このように町の案内文が付いていて、
主要スポットは写真付きの解説も
なされています。
「平成の今」というフレーズが、
過ぎ去りし時代を感じさせてくれ、
尚いっそう郷愁を誘い、
胸に迫りって来て、
実に素晴らしい案内図です。
考えた人、偉い!(笑)
住吉神社の高灯籠前にある
「寺本家住宅」。
案内によると、
明治初年ごろの建設となっています。
「旧木村・北川家住宅」
案内板には、
木村・北川家住宅
若長・ふもとや」
の名前で、
「建築年代は、
文政年間(1818年~1830年)と
推定される」
と書かれています。
実はこの家とは、
御手洗地区散策の終わりに、
喜びの再会(笑)があったのですが、
この時はそんな事知る由もありません。
何となく気になる板張り壁の家。
これは、昭和かな?(笑)
学校跡地の隅にある、
「教育資料館」の札を掲げた建物。
御手洗の町、
レトロだらけで、心もトロケます(笑)
学校跡。
子供の遊ぶ声が聞こえてきそう・・・
御手洗幼・小・中学校跡の石碑。
廃校になって半世紀近く経つ今も、
敷地はそのまま残り、
こんな石碑まで建ててもらえる学校は、
数少ないのではないでしょうか。
古い学校の定番、二宮金次郎像。
近年、「ながら歩き」の姿が、
「歩きスマホ」を想像させると
理不尽な非難の的に
なっているようですが、
ホントに的外れだと思います。
この像は勤勉な精神を
受け継ぐ為のものであって、
「形」を真似する為のものでは
ありません。
そんな人間界のちっちゃな揶揄を
二宮金次郎は空の上から
笑っているかも知れません。
ここは、歴史のみえる丘公園の
麓側の入口でもあります。
学校の門だった石段と石柱から
校舎があった敷地に上がってみます。
志士星野文平碑。
案内によると、星野文平は、
御手洗出身の幕末の志士で、
脱藩して京都を目指したものの
藩に引き止められ、切腹未遂をします。
その後、許されて、京都へ上り
倒幕運動に励み、
広島藩の蒸気船購入の交渉に
勝海舟に会いに行く途中、
切腹未遂の傷が破れ、
亡くなったと書かれています。
校舎跡の石垣から上ると、
愛称「おいらん公園」
「歴史のみえる丘公園」です。
時間が無いし、それよりも
体力が無いので(汗)上っていません。
今日のインスタ映え
学校跡の隣、次に行った
満舟寺の前にある標識。
足長小学生(笑)
これ、ネットでも有名のようです。
まだ学校があった時代のものが、
そのまま残っているのでしょうか・・・・
学校の案内には、
昭和48年閉校とあったので、
令和2年からすると、47年前か・・・
どうなんでしょう?
ちなみにこの足長小学生も
アニメ「たまゆら」の聖地です(笑)