瀬田の唐橋(滋賀県大津市)後編

 

妻のインスピレーション

日本語で言えば、

「妻の霊感」。

霊感と言えば、なんか怖い?ので、

インスピレーションです(笑)

「瀬田の唐橋に行きたい

なんかめっちゃ気になる〜!」

建部大社を出た時、

妻が言いました。

「通ることは出来るけど

車停めるところないみたい・・」

そう僕が言ったものの

橋を渡り切った右側に

「ここに停めなさい」と

言わんばかりの駐車スペースが出現。

これも何かの導きと、

瀬田の唐橋を散策することに急遽決定。

まさかこれが、

予期せぬ素晴らしい出会いを生む

きっかけになるとは、

この時は全く知らない僕たちでした。

欄干

西詰周辺を散策後、

いよいよ橋を渡ってみます。

徒歩で西詰から東詰へ。

擬宝珠アップ。

欄干から見えるのは、

藤原秀郷、百足むかで退治の絵。

やはり瀬田の唐橋は、

百足退治推しみたいです(笑)

東詰

対岸の東詰に到着。

常夜燈。

お寺、神社の標柱とお堂。

個性的というか、

漫画チックというのか、

笑顔の仏様たちにご挨拶。

東詰から西詰方面を撮影。

参道っぽい道。

(後で参道と判明)

欄干から見えた絵。

近くから見ると

タイル絵でした。

ここから橋を眺望。

名前を入れて撮影。

石碑の裏側には、

百足退治のお話が刻まれています。

思わぬ出会い

ここで見つけたのが

小さなお社、

というかお堂です。

この時、

お堂を掃除されている男性から

声をかけられ、

「室町時代の仏様ですよ!

橋の改修中、基礎石近くに

埋まっていたんです・・・

人柱の代わりだったのかも

知れません・・・」

と親切にも

説明をしてくださったのです!

名前は「橋守地蔵」。

瀬田の唐橋に向かって

建てられています。

人柱の身代わりとなられたであろう

お地蔵様に参拝。

ありがとうございました・・・

「橋守地蔵縁起」

男性が話してくれた内容が

ここに詳しく書かれています。

「御本尊は、

昭和五十一年一月二十六日に、

撤去工事中の唐橋の中央橋脚の

基礎の地下から出現された

石仏でありまして、

同時に真鍮製の花筒と

御仏飯の器が揃って出てきました。

高さ三十八糎、

彫りの深い立派な石仏で、

専門家の鑑定によると、

室町末期(約四百数十年前)の作で、

腕のよい石工が彫った

珍しい石仏だそうであります。

何時、誰が、何のために

唐橋の下に安置したものか

知る由もないが、

四百年以上も川底で、

唐橋を守りつづけて来られた

石仏であります。

唐橋下より何か

出現されると予言していた

霊能者によると、

この石仏は実は

霊験灼然な薬師如来である、

橋守社のところへ

唐橋の中央に向け小堂を建て、

祀ってあげるとよいというので、

県当局にその旨を述べ、

一般の人々に解り易く

親しみ易いよう通称を、

橋守地蔵として

お祀りすることになりました。

(後略)」

この後、

「写真撮ってあげますよ!」

男性にそう言われ、

お言葉に甘えました!

瀬田の唐橋とともに

思い出に残る

ツーショットを撮影していただき、

僕たちは、感動もひとしお!

ただ、

男性との関係は、

ここだけでは、

終わらなかったのです(笑)

 

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