満山神社のスギ(熊本県南小国町)

 

鎮守社

調べる手立てがないので、

全てが僕の憶測ですが、

満山(みつやま)神社は、神仏分離以前の

江戸時代までは、

広域な境内地を持つ

満願寺の「鎮守社」としての存在であり、

恐らくそんな関係だからこそ

満山神社の「満」の文字も、

満願寺の「満」であるのかも知れません。

いつも引き合いに出す

東大寺の鎮守社であった

手向山八幡宮と同じ位置づけかと・・・

そんな、満山神社は、

第一の目的である「金比羅スギ」に行く

手前の山中に鎮座しています。

満山神社へ

満願寺一帯は、

スギの木に事欠きません。

石段の両脇もスギだらけ(笑)

「満山神社の杉群」として、

熊本県指定天然記念物に

なっているのも大いに頷けます。

鳥居前の石灯籠には、

「明和四年」(1767年)の文字が。

笠と中台の間にあるはずの

「火袋」部分は欠損しているのか、

ひしゃげた形になっていますが、

それでも古い灯籠を

そのまま残しているのは、有り難い事です。

途中の平坦地で一息ついたら

最後の石段が見えて来ます。

拝殿間近。

杉の巨木がまるで楼門のように

そびえ立っていて、

ゾクゾクする光景に

一瞬足が止まります。

とその時、足元を見ると

石段の頂上部分に刻まれた

文字が目に飛び込んできました。

安永十年(1781年)寄進ですから、

250年近くもの長い間、

踏みしめられているのですね。

チョンマゲ姿の人々も、

この石段を使っていたと思うと、

感慨深いものがあります。

ここのスギは境内の外側(片側)だけに

多くの枝が出ていているのが特徴です。

同じ熊本県の高森町に鎮座する

以前参拝した高森阿蘇神社のスギも

満山神社のスギと同じく、

境内外側の一方向だけに枝が

多かったのを思い出しました。

その時の写真がこちらです。

こんな成長の仕方をするのは、

何かしらの神様のお力があるのかな?

満山神社の本殿(左)と拝殿(右)

そして、スギたち。

社殿、反対側からも撮影。

社殿を取り囲む状況は、

空中を撮影すると

いっそう良く分かりますね。

境内社

本殿裏手には、いくつかの

境内社が鎮座しています。

境内社の猿田彦太神など。

「大」ではなく「太」という文字なのが、

少し珍しいかも知れません。

こちらは御祭神不明の境内社。

ここまでで、満山神社とはお別れ、

次はこの周辺で一番気になっている

「金比羅スギ」へと山登り再開です。

 

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