鳥羽山城(浜松市)
秀逸な案内版に感謝
旅先では、
正直、やっつけ仕事(笑)や、
地元贔屓で書かれた案内版に
出くわすこともありますが、
鳥羽山城の案内板は、
懇切丁寧、内容も中立で、
実に分かりやすいものです。
文章と広域地図、
本丸付近の縄張り、
各所の写真、年表など
知りたいもの見たいものが満載。
浜松市市民部文化財課の皆さん、
素晴らしい案内板をありがとう!
そして、
この内容を要約すると
以下になります。
■鳥羽山城の概要
「鳥羽山城は、
東西500m以上におよぶ
独立丘陵に築城されています。
発掘調査により建物礎石、
庭園が確認されています。
本丸に至る大手道は石垣で荘厳化され、
幅6mを超える規模をほこります。
こうした特徴から、鳥羽山城は、
迎賓機能を備えた領主の
居館だったと推定されます。
■鳥羽山城の歴史
「鳥羽山城と二俣城は、
永禄3年(1560)
桶狭間の戦いを契機に
今川氏によって築かれたと
考えられます。
永禄11年(1568)
今川氏の滅亡により、
両城は徳川家康が領有することに
なりますが、
三方ヶ原の戦いがあった
元亀3年(1572)には
武田信玄が攻略、
その後、長篠の戦い(1575)後は、
二俣城攻略の際、
徳川家康が本陣を置いた。
天正18年(1590)までは
徳川家康が領有したが、
家康の関東移封により、
浜松城主堀尾吉晴の弟宗光が
二俣城主になります。
この頃に鳥羽山・二俣両城は
石垣が築かれるなど
現在みられる姿に
整備されたと見られます。」
大手道
二俣城、清瀧寺を訪問後、
鳥羽山城へと向かいます。
こちらの古い木製の地図も
立体的で良いですね!
興味ある人も無い人も
すぐに読める、
「天正3年(1575)
徳川家康が
二俣城攻略のとき砦を築き
本陣を構えたところとして
知られている」
こんな簡潔な文章も素敵です。
この奥が駐車場。
左の標柱には、
「史跡 二俣城及び鳥羽山城跡」、
右は、「大手道入口」の案内があります。
大手道。
迎賓館的な意味合いというのが、
何となく理解できますね。
枡形でもないけど、
ちょっとだけ防御された広場。
石垣は堀尾氏時代のもの。
大手門。
案内を要約し書き出すと、
以下になります。
「外枡形の構造であり、
東からのびる大手道に対して
南向きに開いています。
周辺の石垣は、他の場所よりも
大きめの石材を使って高く築かれており、
川原石による間詰も丁寧に行われています。
また、門跡の西脇の石垣基部には、
排水のために設けられた暗渠がみられます。
なお、門跡の地面には、
礎石の可能性がある
平らな石がみられますが、周辺からは
瓦が出土していないため、
瓦葺きの門ではなかったと考えられます。」
こちらも
なかなか詳しくて楽しい案内です。
暗渠の案内。
大手門を通って本丸へ。
本丸。
ここにも詳しい案内が設置されています。
本丸南側に建つ展望所。
展望所から浜松市方面の風景。
遠く、日本海までが見渡せます。
武田信玄もここから
浜松城を見張っていたのかも?
北側の景色、。
本丸全域を俯瞰出来るとは、
この展望台、
なかなか凄いじゃないですか!
枯山水庭園跡の案内。
冒頭に案内されていた
迎賓館的な使われ方をされていた
「根拠」となる枯山水庭園の発掘について
詳しく書かれています。
庭園の復元イメージ図のお陰で、
本物の庭園に見え・・・る?(笑)
搦手門
次に搦手門へ。
本丸北側隅にある
クッションローラーすべり台の
スタート地点。
鳥羽山城跡は、
公園として整備されているので、
遊具もあるというわけですね。
本丸内から見た搦手門。
外側から見た搦手門。
やはり大手門同様、
大きな石材が使用されています。
笹曲輪
次に笹曲輪へ。
本丸の北西に位置しています。
句碑。
「寒流として天竜も伏し流る」
「羽公」
笹曲輪からの景色。
手前には天竜川も見えますね!
この山を越えた先には、
長篠の戦いで有名な、
設楽原、長篠城があります。
家康さんの浜松城の防御態勢が、
何となく理解出来る笹曲輪です。
見晴らし広場
笹曲輪から下って、
見晴らし広場方面へ。
ここで何やら「気になる木」を発見。
樹高の三分の一は根っこですよ!
そして、その先に見えるのが、
本丸からスタートした
クッションローラーすべり台の終点です。
本丸から滑り降りてきた妻?(笑)
鉢巻石垣
ここから再度、
本丸広場を目指します。
石段を少し登ると、
見えてきたのは、
案内に紹介されていた
鉢巻石垣です。
ここは、比較的大きな石を
積み重ね、間詰石として、
川原石を使用しています。
本丸の大手門を背景に
ツーショット完了。
大手門南側から下ると、
ここは「川原石」のみの鉢巻石垣です。
何故、西側とは差別化されているのかな?
強引な推理ですが、
家康さんの城であった
横須賀城の玉石垣を思うと
ここは徳川期のもので、
先程の場所は堀尾期のものかも
知れません。
駐車場近くの句碑。
「天龍のへりに椅子おく夕涼み」
「風生」
ここまでで、鳥羽山城散策は完了し、
次に、三方ヶ原の戦いで、
家康さんが一矢報いたという
犀ヶ崖へと向かいます。
野鳥の案内
ここには、鳥が好きな妻には、
もってこいの案内もあります。
「鳥羽山公園周辺で見られる
代表的な野鳥」
白テープで覆ってある部分、
「天龍市」と書かれています・・・
(現在ここは浜松市)
市町村合併で消えてしまう
由緒ある地名に、
ちょっとしんみりです・・・