掩体壕(鹿児島県知覧町)

 

戦ったことの証

西日本を中心に、

膨大な数が建造された掩体壕。

一口に掩体壕と言っても

分厚いコンクリを使ったものから

薄いコンクリ製だったり、

知覧基地跡で見られるように

駐機場の三方を土塁で囲んだだけの

「無蓋掩体壕」まで、

様々な仕様があります。

いずれにしても

掩体壕というものは、

当時の日本人が

自国を守り抜くため、

身を粉にして戦ったことの証ですから、

貴重な戦争遺跡として遺し、

ご先祖様の尊い生き様を

ずっと未来に繋げ欲しいものですね。

台風対策

道草を食った(笑)

取違神社から掩体壕へ。

広い駐車場と

美しく整備された掩体壕周辺は

まるで公園のようで、

悲惨な戦争を伝える場所と言う事を

しばし忘れるほどののどかさです。

そして、

車を降りて一番に目に入ったのが

こちらになります。

トイレ!(笑)

僕たちは「もよおしていなかった」ので、

使用していませんが、

この両端には、

ビックリな仕掛けが付いています。

頑丈なコンクリブロックに、

トイレが繋がれているのです!

もちろんこれは、

鹿児島に多い「台風対策」でしょう。

それにしてもこれには

感動しました!

掩体壕見学(地上から)

まずは案内板を確認します。

「掩体壕」

「掩体壕とは、コの字型に土塁を築き、

爆弾が近くに落ちた場合でも

その破片及び爆風から飛行機を守る

シエルターである。

特攻機は、日本及び満州などで

編成され訓練を積み、

前進命令が下されると沖縄に近い

南九州及び台湾の飛行場に進出した。

昭和20年以降、

日本各地は空襲を受けるようになり、

特に南九州の飛行場は標的にされた。

そのため、特攻隊が知覧に進出すると

機体は直ちに掩体壕に格納され、

米軍機の目を欺くため松や杉、

雑木の枝を被せて

偽装(カムフラージュ)された。

掩体壕の土塁の高さは

戦闘機など小型機用でも4m程あり、

機体を覆えるようになっていた。

(一式戦闘機隼III型甲の

全高は約3.2m)

掩体壕は、爆撃による被害を軽減するため

飛行場周辺に分散配置され、

飛行機は誘導路を経て飛行場に運ばれた。」

沢山の木々で飛行機を覆い、

またそれを取り除く。

この作業だけでも

どれだけ大変だった事でしょう。

しかも滑走路までの距離もかなりあり、

エンジン始動前の状態ですから

「人力」で飛行機を押して

移動させたはずで、

先人たちのご苦労を思うと、

頭が下がるばかりです・・・

掩体壕への道は、

まるでゴルフコースのように

綺麗な芝で覆われています。

模擬飛行機が置かれた無蓋掩体壕。

飛行機のモデルとなったのは、

陸軍九七式戦闘機でしょう。

正面から。

左側面から。

土塁の高さは4mほどなので、

妻の身長1.59mの倍ちょっと、

こうして見るとよく分かりますね。

掩体壕(展望所から)

この掩体壕には展望所があります。

飛行機の右側上の

柵のある所が展望所です。

展望所へ。

お〜これはいいですね〜!

わざわざ俯瞰場所を設てくれるとは、

知覧町、素晴らしい!

九七式戦闘機、

隼のシルエットに似ています。

展望所で飛行機とともに

ツーショット完了。

蛸壺壕跡

ここにはさらに「悲しい場所」が

遺されています・・・

「蛸壺壕跡」

「人員用掩壕」

以下、全文です。

「掩体壕の後方には、

直径約80〜100cm、

深さ約100〜120cmの穴が

5カ所あります。

これは、空襲時に整備兵が入る

人員用の掩壕です。

その形状から、

タコツボとも呼ばれていました。

整備兵たちは掩体壕で

昼夜を問わず整備に励み、

空襲の際はここに退避しました。

また、敵の飛行機に対して

小銃を立射する場合もありました。

現在、史跡保護と危険防止のため

円柱状の穴は詰められ、

塞いであります。」

当時160cm前後の兵士が、

深さ約100〜120cmの穴で、

どうすれば身を守れるのか?

ホント疑問しか浮かびませんが、

こうするしか

方法がなかったのでしょう・・・

覆われた蛸壺。

直径80cmほどの穴の跡。

これも貴重な遺跡ですね・・・

 

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