蒼柴神社(新潟県長岡市)前編
悠久山公園
長岡市の東側、悠久山公園の中心部分に、
蒼柴(あおし)神社は鎮座しています。
「市民の手で造られた日本一の公園」
こんなキャッチフレーズに相応しい、
素晴らしく整備された悠久山公園、
南の端には、
長岡城の御三階櫓(天守)を
模した建物が魅力の
「長岡市郷土資料館」もあり、
外観だけでも
間近で見たかったのですが、
時間配分ができずパス。
ちょっと、うしろ髪ひかれた(笑)
蒼柴神社参拝です。
横参道
時間節約のため、
本参道の起点からの参拝は諦め、
本殿に近い横参道から参拝を開始。
蒼柴神社の社号表。
横参道の鳥居。
あっという間に
御社殿が見えてきます。
真っ直ぐ行けば参拝できますが、
右に折れて、
少しだけ本参道を歩くことに。
本参道に行く途中、
馬蹄形の桟敷席付きの相撲場を発見。
兵庫県の表米神社、
山口県の赤崎神社の桟敷席を
思い出しました。
本参道
本参道を少し逆戻り。
二の鳥居方面を撮影後、
回れ右して参拝へ。
三の鳥居。
鳥居手前の境内社、一樹神社。
ネットで調べてみると
本殿の御祭神である
長岡藩三代藩主、牧野忠辰公が
師としていた江戸時代初期の神道家、
橘三喜(たちばなみつよし)を
祭っているようです。
「小林虎三郎(病翁)の碑」
以下案内の抜粋です。
「小林虎三郎は、病弱のため
自らを病翁と称した。
北越戊辰戦争後は、
長岡藩大参事となり
疲弊した郷土の復興に尽くした。
とりわけ教育の重要性を唱え、
三根山藩から贈られた百俵の米をもとに、
三島億二郎らと国漢学校を開設。
その後の発展の礎を築いた。」
河井継之助のお墓がある
栄凉寺の近くに住んでいた虎三郎さん、
お寺には虎三郎さんが梵鐘を詠んだ句碑が、
建っていましたが、
ここ青柴神社でも顕彰されていたんですね。
神門へ。
千鳥破風付きで少し豪華です。
「高明門」
提灯に書かれた「蒼柴大明神」は、
御祭神の牧野忠辰公が
吉田家から贈られた神号です。
そして、
神門内部をみると、
予想外の光景が・・・
大きな備前焼狛犬ですよ!
江戸時代、岡山県の備前焼狛犬は、
北前船で全国に広がっていますが、
ここ長岡にも来ていたのですね。
(狛犬の建立年代は不明です)
かなり良好な保存状態で、
大切にされてきた事が分かります。
吽形。
斜めから。
そして次なるサプライズは、
手水舎です。
お〜これはまるで家ですね!
玄関の扉を開けて侵入・・・
清浄な水と柄杓での御手水、
これが、神社参拝の醍醐味かも(笑)
素晴らしい手水舎さん、
僕たちの気分を高揚させてくれて、
本当にありがとう!
(続く)