島津義弘公銅像(鹿児島県伊集院町)
共通するもの
島津義弘公銅像の作者である
彫刻家・中村晋也氏は、
今年(令和8年)100歳になられますが、
令和5年には故郷、三重県亀山市駅前の
新たな銅像を製作するなど、
絵に描いたような
「生涯現役」の凄い人です。
一方、
今から400年以上前、
関ケ原の戦いで、西軍の敗戦後、
島津義弘公が、
「島津の退き口」と言われる
敵中突破をしたのは、既に65歳近い時で、
その後、義弘公は、
満83歳で天寿を全うしています。
中村晋也氏と島津義弘公、
この二人、時代は違えど、
比類なきバイタリティは、
共通するものでしょう。
島津義弘公の銅像を見ていると、
中村晋也氏の生き様とも重なり、
感動もひとしおです。
何故ここに銅像が?
島津義弘公の銅像が、
なぜ伊集院駅前に建てられたのか?
それは、
伊集院町には、
島津義弘公を御祭神とする
徳重神社(妙円寺跡)が
鎮座しているからでしょう。
毎年10月に行われる、
鹿児島の3大行事の一つ、
「妙円寺詣り」(実際には神社に参る)は、
関ケ原の戦い後、
敵中突破して鹿児島まで戻った
島津義弘らの遺徳を偲ぶもので、
毎年多くの方が参加されています。
銅像三昧
鹿児島中央駅から車で約40分、
伊集院駅に到着です。

伊集院駅のちょうど正面に、
島津義弘公の銅像は建っています。

銅像&駅。

銅像&信号機。

うわ〜素晴らしい!
この銅像を生で見たいという
長年の夢が叶った瞬間です!

案内には、
関ケ原での敵中突破、
豊臣秀吉の朝鮮出兵後、
高野山に敵味方の供養塔を建立し、
これが日本赤十字の鏑矢となったと綴られ、
最後に製作者の中村晋也氏の
名前が陽刻されています。

こちらは以前参拝した
高野山奥之院にある
「高麗陣敵味方戦死者供養碑」で、
島津義弘・忠恒の父子の名で
建立されています。
また、高野山の供養碑建立から
遡ること20年程前、
大友宗麟と戦い(耳川の戦い)に
勝利した島津義久(義弘の兄)は、
敵味方の供養塔を建ています。

こちらがその供養塔で、
450年経った今でも現役で、
「宗麟原供養塔」という名で
残されています。
島津氏の強さは、武勇だけでなく
敵味方を思う「博愛精神」が、
その礎にあったのでしょう。

ここから銅像三昧開始!

馬の躍動感もたまらんぜよ!
(何故か土佐弁に・・笑)

采配の先まで、
神経が行き届いていますね!

関ケ原で敵中突破中のお顔、
惚れてまうがな〜(関西弁?)

馬の滝登り!

お顔アップ。

駅側からの姿。

斜め後方から。

背中にも隙は無し。

中村晋也氏の島津義弘公、
いや〜素晴らしかった!