特攻神社(鹿児島県出水市)

 

「個の力と思い」

戦前、日本各地の航空基地には

神社が鎮座し、

隊員たちは、そこに参拝し、

心の拠り所としていましたが、

戦争が終わるとその多くは廃止され、

今残っているのは、

本殿の基壇跡などごく僅かな遺構です。

出水基地の神社も例外ではなく、

終戦後は廃社となりましたが、

地元神社の宮司さんにより

平成元年、

「特攻神社」として復興しています。

ネットもSNSも無い時代、

多くの協力者はいたとしても

思いを広げるのは難しいこと・・

それを「個の力と思い」により

神社を復興した宮司さんには、

ただただ頭が下がるばかりです。

参道

特攻神社は特攻碑公園と道路を挟んだ

向かい側に鎮座しています。

熊本市では八分咲きだったのに、

出水市の桜は散り際です・・・

社頭。

鳥居前。

ここで足元に気になるものを発見。

ここから本殿まで参道の両脇の

所々に小石が置かれています。

これはいったい何でしょうか?

もしかすると

特攻隊員のご遺族が持ってきた

故郷の石かも知れません・・・

「特攻神社」

以下、案内の抜粋です。

「祭神

元海軍中佐 関行男命

元海軍大尉 金指勲命 及び

全国特別攻撃隊散華之命達

春祭 三月十八日

例大祭 十一月五日

いわれ沿革

当神社は、昭和十八年四月一日

開隊された出水海軍航空隊の

守護神として建立されたが、

同航空隊が特別攻撃隊の基地となるや、

出撃する特攻隊員の総てが

当神社に使命の成功と国家の安泰を

祈願して出撃したと伝えられている。

大東亜戦争終結により、

航空隊は解隊し神社も撤去され

台座を残すのみとなった。

神社跡地には樹木が植樹されていたが、

この度宅地造成により

神社の台座が発見されたので、

箱崎八幡神社田上宮司が

当地を買取り「特攻神社」を建立して

特攻隊員として戦場に散った

命達を祭るとともに

御神の御神徳をひろめ、

崇敬者はじめ特に神道を正しく理解する

青少年を育成するために設立した。

平成二年四月吉日

特攻神社崇敬者一同」

この中で御祭神の一柱となられた

「金指勲(かなざし いさお)」さんが

気になり調べると、

昭和20年3月19日、

爆撃機銀河に搭乗し、

空母フランクリンを爆撃、

爆弾を命中させた後に、

撃墜された方でした・・・

「旧出水第二海軍航空隊

正門 門柱」と記されています。

先に訪問した第二航空隊正門は、

当時から残る遺構でしたが、

こちらはそれを

模したもの?かも知れません。

「英霊之碑」

昭和20年4月17・18日、

出水空襲で亡くなった、

出水第二海軍航空隊練習生全員を

慰霊する石碑で、

氏名が判っている方の名を

刻してあります。

巨大な銅像と社殿。

文字の一部が桜の葉っぱの陰に

隠れていますが、

「南方のかなた」と記されています。

銅像は特攻隊の先駆けとなった

敷島隊の関行男大尉のお顔に

似ていますね・・・

飛行服姿も、

腰に腕を当てたポーズも

特攻の前日に撮られた

関大尉の遺影そっくりです・・・

特攻神社の御祭神である関行男大尉は、

「南方のかなた」、

特攻したフィリピンのレイテ湾深くに

お眠りになっておられます・・・

真横から。

お顔アップ。

本殿

次に本殿へ。

本殿の覆屋。

その屋根の天辺右端を見ると・・

鳩ちゃんがこちらを向いています。

平和の象徴である鳩、

特攻隊のご英霊の意志を

僕達に届けてくれたに違いありません。

特攻神社を再興された

田上貴敬名誉宮司が奉納された燈籠。

宮司さんの思い、

しかと受け止めさせていただきましたよ!

「玉砕の御霊なぐさめとこしえに

守り給へや特攻神社」

この石碑を奉納されたのは

出水基地に勤務していた

愛知県西尾市の方です。

「神殿作成費奉納者」と

記されていますので、

神社復興の大きなお力添えを

してくださったのでしょう・・

ちなみに西尾市と言えば、

今川義元の首塚

美味しい抹茶を思い出しますが、

果たして妻は、

首塚を覚えているのか?(笑)

本殿。

参拝。

覆屋の板壁に貼られた短歌。

ご遺族の作品でしょうか・・・

御朱印の紹介。

こちらが後ほど参拝した

箱崎八幡神社で授与していただいた

特攻神社の御朱印です。

顕彰コーナー

本殿裏手には特攻隊の

顕彰コーナーとでもいうのか、

特攻隊に関する「宮司さんの思い」が

ギュと詰まった空間があります。

ここからは、

それらを抜粋していきます。

【特攻隊】

「戦後、特攻隊は犬死であり

これを命じた者は犯罪者である、

と言うのがマスコミによる

評価であったと思う。

私は国を思う若者の真情を冒涜する

これらの評者に対して、

許し難い  であり、

情けない限りであった。

アンドレ・マルコー

(フランス文化相、哲学者)の

「特攻評」は救いであった。

「確かに日本は太平洋戦争に敗れた。

だがその代わりに

何ものにも代え難いものを

得た事を忘れたはならない。

それは世界のどの国も真似の出来ない

「特別攻撃隊」である。

戦後フランスの大臣として

日本を訪れたのは私が最初だが、

その時も天皇陛下にとくと

それを申し上げておいた。

スターリン主義者にしろ、ナチ党員にしろ、

結局は権力を手に入れる為の

行動に過ぎなかった。

日本の若い純真な特別攻撃隊員達は、

狂信的(ファナティック)だったと

よく言われるがそれは違う。

彼等には権勢欲とか

名誉欲は露ほどもなかったし、

ひたすら祖国を憂える

貴い情熱があるばかりで有った。

代償を求めない純真な行為、

そこに偉大さがある。

逆上と紙一重の

ファナティズムとは根本的に異質である。

人間はいつも偉大さへの

志向を失ってはならない。」

アンドレ・マルコーさん、

特攻隊の本質を見抜いてくれて

ありがとう!

日本軍の中枢部や政治家には、

権力欲がいっぱいあったとしても(汗)

最前線の若者は、

純真無垢な心で、

ただひたすら国の将来を憂え、

そして、

特攻隊として散華されたのですから

この見方は正しいと思います・・・

特攻した全員の名前の一覧で、

これだけでも凄いですよ!

最初の特攻は関行男大尉率いる敷島隊です。

特攻機(特攻専用)の紹介。

木製のグライダーまであったとは、

初めて知りました。

もはや日本に鉄は無かったのです・・・

本土決戦がなくなり、

実戦には使われていないそうで、

それだけは救いですね・・・

特攻機として使用された機体。

巨大な二式大艇までもが、

特攻していたとはびっくりです。

これを読んで、驚きました。

小さな頃から日本に興味を持った

南アフリカの女性が、

曹洞宗の尼僧となり、

平成元年までは大東亜戦争の事は

あまり考えた事も無かったところ

この年、突然、日本の特攻隊の夢を見て、

その後何回も同様の夢を見るようになり、

そしてその後来日し、

関行男大尉の故郷や

特攻隊の関係先を訪問し、

日本の書籍を集めまくり、

出水の特攻隊についての本も入手し

南アフリカで特攻隊や慰霊についての

本を出版するという内容です。

来日後、

出水で応対した人への手紙には、

「シンガポール経由にて帰国しましたので

そちらで散華なさった

お若き勇姿達を想いながら

フィリピン北島を上空から眺めました。」

こんな感情を抱いて下さるなんて、

なんと有難いことか!

南アフリカの方なんですよね・・

日本人として、

やらなきゃ行けないこと

まだまだいっぱいありそうです・・・

 

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