五卿西遷の碑(宗像市赤間)

 

千二百年の時を超え

五卿(七卿)関連の史跡や石碑は、

京都府、広島、山口、福岡と、

その足跡に沿って随所にあり、

僕たちも下関市の櫻山神社大歳神社

見た記憶があります。

(妻は忘れたか・・笑)

そして、このルートと被るのは、

菅原道真の太宰府左遷です。

千年の時を超えて、

全く同じことをやってる朝廷、

いや、もっと以前、

奈良時代からなので、

千二百年の時を超えてるかな?(笑)

五卿も太宰府で暮していますので、

菅原道真の苦難と没後の復権を

自らの境遇に重ね、

励まされたのかも知れません。

五卿西遷の碑

赤馬館からお昼を食べる予定の

「中華菜館 五丈原」へ行く途中に、

五卿西遷の碑はあります。

「ついでに行った感」が満載ですが、

赤馬館のパネル展示で、

五卿西遷の碑を知ったので、

ここを第一目的としたということに

しておきましょう(笑)

赤間宿の通りにある

出光万兵衛生家。

佐三さんの親戚でしょうか?

よくわかりませんが、

「明治15年赤間に生まれ、

海軍兵学校に進み、

後に昭和天皇の侍従武官となり、

海軍兵学校校長を務めた方で、

「敬天愛人」書あり」

このように案内されています。

西郷さんを慕っていたのかな?

五卿西遷の碑の前に到着。

場所は赤間宿の北の入口付近です。

そして、

この絵地図の裏側がこちらです。

いや〜これは楽しい!面白い!

「唐津街道赤間宿往時の想像絵巻」。

赤馬館で知った福岡藩の勤王の志士、

早川勇のお家も唐津街道沿いに

あったのですね。

五卿西遷の碑。

前には二つのサブ的な石碑があります。

古い石碑。

お金に関する内容が、

克明に記されています。

「五卿西遷之遺跡

一、 昭和三年十一月三日計書

○○○昭和六年六月三日竣工

一、寄附金 壹千壹百貳拾九圓也

一、建設費 金九百九拾九圓也

一、残金 金壹百参拾圓也

右ハ維持費トシテ昭和七年七月

赤間町役場ニ委託保管」

余ったお金は、

ちゃ〜んと役場で保管して、

維持費として使いますなんて、

なんと正直な・・・

ピンハネ分とかは?

絶対無かったはずです!(笑)

新しい案内碑。

「五卿 西遷の碑」

「幕末の文久3(1863)年

8月18日の政変によって、

攘夷派の急先鋒だった

三条実美公たち7人は、

身の危険を察し、

京都を脱出して長州へ落ち延びた。

慶応元(1865)年1月15日、

そのうちの5人

「三条実美」「三条西季知」

「壬生基修」「東久世通禧」

「四条隆謌」が聴衆から筑前入りし、

太宰府へと向かうことになった。

このとき、

吉留村の草莽の志士・早川勇は

黒田藩の指示で随行を命じられ、

赤間宿の御茶屋(本陣)に

1月18日から2月12日まで

五卿とともに滞在した。

随行の中には土佐脱藩の

中岡慎太郎、土方楠左衛門がおり、

薩摩藩の西郷隆盛は

五卿の待遇改善のため、

赤間宿に出向いた。」

赤間宿、

幕末の志士たちの坩堝ですね!

やはり現場に行けば、

実感が湧くというもの、

これだから旅はやめられまへん(笑)

五卿西遷の碑に参拝・・ではなく、

ご挨拶でしょうか。

そして、腹ペコな僕たちは、

ようやく昼メシへ(笑)

 

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