賤ヶ岳(滋賀県長浜市)本編

 

賤ヶ岳訪問のきかっけ

僕たちが賤ヶ岳に行く

きかっけとなったのがこちらです。

今年(令和4年)6月、

淡路島の南に浮かぶ

沼島ぬしま」に鎮座する

沼島八幡宮に参拝した時に

拝殿正面に掲げられていた

「賤ヶ岳大合戦(一五八三)」

という絵馬で、

主役は輪違い紋の馬印を背負った

脇坂安治です。

脇坂さんは、賤ヶ岳で活躍し、

そのご出世し、

後年、淡路島の洲本城主となり、

沼島の漁業の発展に貢献したことで、

今でも島民の崇敬を受けており、

その結果がこの絵馬の

奉納という事なのです。

歴史と絶景と

琵琶湖の北岸に位置する賤ヶ岳は、

豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)と

柴田勝家が対峙した古戦場ですが、

賤ヶ岳城(砦)からの眺めは

360度が絶景!

歴史と絶景を堪能できるなんて、

賤ヶ岳は、欲張りな観光地です(笑)

賤ヶ嶽合戰々歿者霊地

リフト乗降場から

山頂を目指し歩くと、

いきなり見えてくるのが、

顔出しパネルです(笑)

パネルは登城路の左側。

琵琶湖を背景に、

妻は賤ヶ岳の七本槍の一人、

糟屋武則になりすまし

・・いやなり切り(笑)

さらに上ると

右側に石柱が見えてきます。

「賤ヶ嶽合戰々歿者霊地」

このように刻まれ、

右側に石段の参道が

設えられていますので、

まずは、お参りへ。

お堂の前には

多くの石仏や供養塔が

並べられています。

側面に掲げられている

案内を要約すると

以下になります。

「賤ヶ岳合戦の死者の霊を弔う石仏が

点在していたが、

これを一箇所にまとめ、

昭和五十七年、

賤ヶ岳合戦四百年を機に、

景勝のこの地に移転し、

毎年四月、当岳の山開き祭に

里の行事として

年に一度の供養をしているものです。」

賤ヶ岳は豪雪地帯なので、

冬季は数ヶ月閉鎖されています。

その山開きの四月は、

賤ヶ岳の戦いが終結した月・・・

そんな特別な時期に、

供養の行事が行われるとは、

戦いで亡くなった方々も

空の上からさぞかし

お喜びかと思います・・・

合掌。

山上へ

次なる顔出しパネルも

七本槍の一人です。

三つ鱗の家紋は、平野長泰。

途中、赤とんぼがお出迎え。

もうすぐ山頂という所で、

またもや顔出しパネルを発見(笑)

輪違いの家紋、脇坂安治。

やはり、七本槍の一人です。

絶景堪能

特別編で詳しく書きましたが、

この後、ボランティアガイドさん

運命の出会(笑)があり、

散策の前に20分ほど

青空授業を受けたので、

これからの写真は、

その後の撮影です。

琵琶湖北岸。

この光景、たまらんですね!

妻は無料望遠鏡で景色を堪能。

こちらは琵琶湖の北に位置する余呉湖よごこ

この周辺が主戦場なのですが、

ここにはまた別の歴史もあるようで、

余呉湖を見ながら

ボランティアガイドさんは、

こんな話をしてくれました。

「賤ヶ岳合戦のはるか昔、

目の前の余呉湖畔に天女が降り、

水浴びをしていた所、

一人の男が天女に恋心を抱き、

柳の木に掛けてあった

天女の羽衣を盗み、

その天女は男と結ばれたが、

羽衣を家で見つけ、

天に昇って帰ってしまった」

天女伝説は日本各地にあるようですが、

余呉湖の神秘的な絶景を見ると、

やはり天女が舞い降りてくるはずだと

大いに頷けます(笑)

琵琶湖から~の余呉湖。

賤ヶ岳からは大小二つの美しい湖が

同時に見えるというのも、

大きな「売り」でしょう!

曲輪を俯瞰。

こちらは南側。

ここでも無料望遠鏡が大活躍。

小谷城や伊吹山も見えて、

ここからの眺めもたまりません!

明日行く予定の伊吹山・・・

でしたが、

翌日は大雨で旅程変更し、

またの機会に行くことに・・・

とにかくこの旅での青空は、

賤ヶ岳に一点集中してましたから(笑)

カメラを少し右に移し撮影。

さらに右には琵琶湖があります。

一気に動画でも撮影。

写真も沢山撮りましたが、

やはり写真や動画では、

実際に絶景を見て、

清々しい空気を吸った感動の

半分も表すことが出来ません・・・

やはり、

体験するしか有りませんね(笑)

珍しい銅像

絶景を堪能した僕たちが、

次に感動したのは

珍しい趣向の銅像です。

「戦いのあと」と題された銅像。

兜を脱ぎ、

槍を肩に置き、

うつむき、何か想うのか、

それとも眠っているのか・・・

百科事典の一ページを開いたような案内。

これも銅像の一部とも言えますが・・・

ここには作者がこの像を造った主旨が

刻まれています。

案内は、柴田軍から秀吉軍が

賤ヶ岳を取り返したところから

はじまり、

所々抜粋すると

「さしずめ武将も崩れるように

腰を下ろした。

こわれた兜を脱し、槍に身を支える。」

「四月の風が灌木の上を柔かく

撫で渡ってゆく」

「武将は隈の浮いた目蓋を伏せた。」

「手放しで勝利に酔っていたとは、

とても私には考えられない。

戦というものは、勝敗を超えた

厳しい次元で・・」

このような文章で、

作者の製作意図が、

ひしひしと伝わってきます。

秀吉・勝家両軍の

「鎮魂の像」として

一番ふさわしい銅像だと

改めて感じ入りました・・・

背中にも哀愁が・・・

こんな素晴らしい銅像を造った人、

本当にありがとう!

展望所

次に展望所へ。

何となくお寺っぽい屋根です。

絵馬掛け。

賤ヶ岳の整備のために、

絵馬を販売しています。

賤ヶ岳の七本槍武将の紹介。

絵馬。

僕たちは見るだけだったので、

整備への貢献は出来ず(汗)

いや、

リフトも乗ったし、

訪問したことだけでもOKでしょう(笑)

待っててくれた脇坂さん

散策後半、

こんな標柱を見つけました。

お~!!

脇坂安治さんじゃないですか~

ここで僕たちが来るのを

待っててくれたんですね(笑)

しかも昨年僕たちが参拝した

龍野神社の奉賛会の方々が

記念植樹されてますので、

テンションは上がりまくりです!

ちなみに脇坂家は江戸時代前期、

龍野藩主(兵庫県たつの市)となり、

明治維新まで続いています。

顔出しパネルのラスボス

顔出しパネルだらけの賤ヶ岳、

やはりラスボスはこの方です。

余呉湖を背景にした、

豊臣(羽柴)秀吉。

妻の足が見えてしまっているのは、

詰めが甘い証拠(笑)

同じく余呉湖を背景の

ガイドさんが撮ってくださった

僕たちのツーショット。

実に素晴らし構図ですね。

ホント、

最高の思い出が出来ました~!

改めて、ガイドさん、ありがとう!

帰路

いつまでも離れたくない絶景に

後ろ髪を引かれるようにして、

賤ヶ岳を後に・・・

リフトで下山。

妻も大満足のピース(笑)

もうすぐ終点。

うちわのプレゼントまであって、

至れり尽くせりのおもてなし。

うちわ&パンフを撮影。

これにて賤ヶ岳の訪問は完了です。

 

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