知覧飛行場跡/油脂庫・弾薬庫・正門

 

観光地化

特攻隊員の遺書が展示された

知覧特攻平和会館には、

全国から多くの人々が訪問しています。

ここまで知名度が上がったのは、

施設維持のたゆまぬ努力と

日々、「知覧」を発信し続けた、

歴代関係者方々の強い思いが

あってこそに違いありません。

また、その関連として、

当時の軍事施設が、そのままの形で

広域に渡って残されてるのも

ここ知覧の大きな特徴でしょう。

戦争の悲劇を二度と繰り返さない為に、

先人達の苦難の道を知ることは、

戦争体験のない世代には必要不可欠な事。

改めて、「知覧」を遺してくれた

先人達に感謝と敬意を表します。

油脂庫

知覧茶屋の玉子丼で腹を満たした後は、

徒歩で、

知覧飛行場跡周辺遺構の

散策へと向かいます。

周辺散策図。

スタート・ゴールと記された

赤線を巡りますが、

いくつかはカットしています。

「隼ラーメン」。

このネーミングに

テンション上がる僕たち(笑)

平和会館から徒歩5分ほどで油脂庫に到着。

「旧知覧飛行場油脂庫」

以下、案内の抜粋です。

「練習機の潤滑油や

グリースなどを保管した倉庫です。

壁面には荒々しい円錐状の窪みが

何箇所も刻まれています。

これは昭和20年3月以降、

米軍の空襲を受けた時の傷跡です。

当時からこの場所にあったもので、

レンが造りで表面はコンクリートで

覆われた構造になっています。」

確かに銃撃痕が・・・

米軍機の13ミリ機銃と思われる弾痕。

海軍のグラマンF6Fヘルキャットか、

陸軍のP51マスタングなのか?

想像するしかありません・・・

レンガの上のコンクリは、

意外と厚みはないのかな?

弾薬庫

次に弾薬庫へ。

普通の道路ですが、

ここは知覧、

やはり普通じゃありません。

燈籠が並び、

特攻隊の慰霊の場でもあります・・・

弾薬庫に到着。

グラウンドの一角を削って、

わざわざ弾薬庫を遺しています。

こんな所が、知覧たる所以でしょう!

以下、案内です。

「飛行学校の訓練を行なっていた

教官たちが実弾による

射撃を行なっていました。

長い吹き流しをロープで引いて飛び、

その上方・下方から射撃の練習を

高等訓練機である

97式戦闘機で行いました。

飛行学校は昭和18年の夏に

知覧教育隊となりますが、

その訓練用実弾の倉庫跡です。

壁面には当時、米軍に攻撃された弾痕が

数多く残っています。」

ここに記されている97式戦闘機、

僕たちは以前、

福岡県の大刀洗平和記念館で見ています。

隼の一つ前の機種ですが、

2翅プロペラの隼1型と

ちょっと似ていますね。

この機体は特攻出撃の為、

知覧に向かう途中、

博多湾に不時着水したもので、

この時、操縦士は助けられたものの、

後日、特攻出撃して

散華されておられます・・・

弾薬庫内部へ。

天井は吹き抜けというか、

銃撃で無くなったのかも

知れません。

弾痕。

床には大穴もあります・・・

弾薬庫の前で敬礼する妻。

肘を張る陸軍式の敬礼を

意識しているのかな?(笑)

正門

弾薬庫から、

かつて正門があった場所へ。

茶畑横を通過。

知覧と言えば知覧茶・・・

いや、特攻の方が有名か?(笑)

今は竹藪の正門跡に到着。

写真付きの案内。

昭和16年から19年までは、

教育の場、その後は特攻の場・・・

燃料不足と逼迫した戦況で、

練習時間もないまま、

ここから飛び立った雛鳥達・・

その胸に去来するものは、

何だったのか・・・

また、

正門の門柱は特攻平和会館近くにある

特攻観音堂参道脇に移設されています。

現在の門柱。

由来。

戦後は旧知覧中学校の正門として使用され、

その後、統合により閉校となり、

ここに移設されたと記されています。

(知覧飛行場跡 続く)

 

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