和田神社(滋賀県大津市)

 

朝顔

和田神社一の鳥居から

表門までの参道両脇には

朝顔が植えてあります。

僕たちが参拝したのは6月22日。

この時は、まだ成長過程でしたが、

夏には網の上まで弦が伸び、

朝顔が咲き誇り、

参拝者を歓迎した事でしょう。

朝顔の花は無くとも

こんな温かいおもてなしを

感じられただけで、

和田神社は心に残っています。

膳所城の遺構

和田神社参拝のきっかけは、

膳所城に関わる

江戸時代建立の門が

移築されて、

現役で活躍していると知ったからです。

社頭。

一の鳥居。

冒頭で書いた朝顔と網が、

両サイドに見えています。

神社縁起(由緒)

御祭神は、

高龗神(たかおかみのかみ)。

創建時には、「八大龍王社」と呼ばれ、

琵琶湖畔の神社ですから

やはり水を司る神様が

いらしゃるのでしょう。

表門。

膳所城の案内には、

「文化5年(1808)に創建された

膳所藩藩校遵義堂じゅんぎどうの門を

明治維新後移築」

このように記されていますので、

既に200歳を超えています。

藩校の門らしく

格式高い高麗門ですね。

神宝庫

門をくぐると

ちょっと不思議な光景が

見えてきます。

左側の神宝庫らしき建物のデザイン、

かなり珍しいですね!

神宝庫と拝殿(舞殿?)。

神宝庫正面。

超個性的なお顔は、朝顔とともに

和田神社の思い出です。

御神木

境内には、

神宝庫と阿吽を成すかの如く、

御神木の大きな「いちょう」が

そびえています。

妻と大きさの比較。

神社の案内を抜粋すると

以下になります。

「樹齢はおよそ600年と推定される。

いちょうは和田神社の神木として、

琵琶湖上からの

目標になっていたと考えられます。

また、関が原の合戦に敗北して

捕らわれた石田三成が

京都へ護送される途中、

この木に繋がれて

休息をとったと伝わっています。」

石田三成伊吹山山麓から

護送されているし、

近くにある瀬田の唐橋は、

近江(滋賀)から

京(京都)への要衝ですから

ここを通った可能性は、

十分あるでしょう。

その頃、

まだ琵琶湖畔には膳所城もなく、

この辺りでは、和田神社が

目立つ存在だったと推測されますので、

事実であった可能性も

あると思います(思いたい?笑)

御社殿

次にお手水へ。

手水舎。

昔は左側の井戸が

使われていたのでしょう。

手水鉢は清浄な水で満たされ、

柄杓でのお手水ができます。

拝殿。

神楽殿的な使われ方もされそうな

スケルトンタイプの様式。

本殿に直接参拝できそうなので、

拝殿では拝まずにそのまま本殿へ。

本殿と玉垣。

正面。

慶応二年(1866)奉納の狛犬。

吽形。

国指定重要文化財の本殿。

神社の案内を抜粋すると

以下になります。

「旧東海道に面する表門を入った境内の奥に

東面して建つ本殿は、一間社流造という

規模の小さな社殿で、屋根は檜皮葺です。

正面に軒唐破風が付けられており、

これは県内でも

珍しい建築様式となっています。

側面にある蟇股などの様式から、

建築は鎌倉時代後期と

考えられていますが、

後世の補修の跡も多く認められます。」

屋根の葺き替えなど、

維持管理の難しい檜皮葺きを

そのまま継続されているのは、

素晴らしいことですね!

宮司さんはじめ崇敬者の方々の

お力に他なりません。

本殿斜めから。

ここからだと軒唐破風の雰囲気が

よく分かります。

斜め後ろから。

拝殿前にてツーショット完了。

境内社

次に境内社へ。

本殿向かって右側の天満宮。

稲荷神社。

「奥村大明神」の神額。

御社殿全景。

今日の気になる木

手水舎の隣で見つけた

神聖な場所。

石玉垣に囲まれ、

正面にはしめ縄と幣があり、

その中に、

一本の榊が立っています。

神宿る木・・・なんでしょうか?

以上、気になる木でした。

 

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