西郷南州顕彰館(鹿児島市)1階展示
館内ガイド
最近多く見る、
QRコードでの画像表示や音声案内は、
便利で情報も多い利点はありますが、
内容を見聞するまでに、
いくつかの関所があります(笑)
また、従来からの印刷物だと
情報量は少なくなるものの
見たいと思った時、
一瞬で見る事ができます。
双方に良いところはありますが、
西郷南州顕彰館のやり方は、
アナログの展示&紙の案内ガイドで、
これは、とても重宝しました。
こうしてブログを書く時に、
館内の解説と同じ内容のものが、
手元の紙媒体で確認できるのですから!

館内ガイド(表紙)

館内ガイド(見開きの内面)。

館内ガイド(裏面)。
これを頂けたお陰で、
僕の記憶もかなり戻った気がします(笑)
1階展示
ここからは、館内の解説と
館内ガイドから抜粋していきます。

「昭和52年に迎えた
大西郷百年祭の記念事業として、
南州翁を敬慕する20数万人の人々の
浄財により建立されました。」
凄い寄付が集まったのですね・・
やはり西郷さんの人徳でしょう!

入口前の顔出しパネル。
基本「やる派」です(笑)

館内入って正面。
「肖像画(明治16年、
イタリア人キヨッソーネ画)」と
「薩摩の巨人西郷の軌跡」。

一階展示室の風景。

偉人の町。下加治屋町のジオラマ。

城下町絵図と、幕末頃の鶴丸城。

下加治屋町から出た偉人たち。
日露戦争において、
日本海海戦で勝利の要となった、
「山本権兵衛」と「東郷平八郎」が
同じ町内出身だったとは、
びっくりですが、
これで、
山本権兵衛が東郷平八郎を
連合艦隊令長官に推薦したというのも
それまでの実績は無論のこと、
既知の間柄で、東郷の技量を
理解していたからでしょう。
(あくまでも推測ですが)

「西郷家の紋章と家紋」

3 ジオラマ
「西郷は19歳の頃、
下加治屋町郷中の二才頭に選ばれ、
後輩を指導しました。
僅か70戸のこの町から
多くの偉人が出ていますが、
殆どが西郷さんの指導感化を
うけて育ちました。」

青少年を鍛えた郷中教育と年中行事。

「日新斉いろは歌」
「島津忠良
島津家十五代貴久の父であり
薩摩中興の祖といわれた島津忠良は、
日新斉あるいは日新菩薩といわれ
慕われた。
郷中教育では、まず幼い者に
日新斉のいろは歌の教えを覚えさせた。」
やはり、
薩摩と言えば、「いろは歌」。
幼い頃に刻まれた素晴らしい精神が、
その後多くの偉人たちを
生み出したのでしょう。

5 ジオラマ
「西郷は17歳の時、米の出来高を見積り
納税させる役所の書記になりましたが、
正義感が強く、誠実で、
情深い人柄でしたので、
農民の同情者としての立場を
とり続けました。」

西郷が尊敬した人々。
言わずと知れた島津斉彬のほか、
ジョージ・ワシントン、ナポレオン、
菅原道真、高山彦九郎の名があります。
僕たちは鹿児島旅の2ヶ月前、
YOKOSUKA軍港めぐりで、
米空母「ジョージ・ワシントン」を
見たばかりなので、
ジョージ・ワシントンさんに
めっちゃ親近感が湧いています(笑)

「日本最初の洋式軍艦 昇平丸の模型」
桜島背景の海の風景、素晴らしい!

6 ジオラマ
「26歳の時、
藩主島津斉彬公に見い出され、
江戸屋敷勤務、庭方役になりました。
斉彬公は、西郷を側近において、
日本全国、世界のことに
目を開くように教育し、
天下第一級の人々に引き合わせ
重要な任務をさせました。」

「日本を脅かす列強の進出」。
船や大砲で対抗しようとした薩摩、
侵略の矢面に立たされていた、
当時の薩摩人の危機感というものが、
いかに凄かったかがわかります。

7 ジオラマ
これも素晴らしいジオラマですね!
波高い錦江湾と桜島、
当時の情景そのままでしょう!
「京都清水寺の月照上人は、
安政の大獄で幕府に追われ、
西郷を頼りに薩摩に保護を求めましたが、
斉彬公亡き後の薩摩藩は、幕府を恐れ、
上人を日向送り(実質的には処刑)
としました。
信義に厚い西郷は、上人と共に死のうと、
冬の錦江湾に身を投げました。
月照上人は絶命し、西郷は蘇生しました。」

「蘇生した西郷」
「菊池源吾と変名。
奄美大島龍郷村に安政6年から
文久2年まで3年間潜居しました。」
「西郷はここで、
愛加那と出会い妻とし、
一男一女をもうけました。」

「流罪」
「文久2年(1862)2月、
召喚され直ちに国事に奔走しましたが、
島津久光公の怒りにふれ、
徳之島、のち沖永良部島(和泊)に
流罪となりました。」
右側の展示では、西郷さんが作った
イカ釣り用の擬似餌がありますが、
これは2年近く前、
山形県酒田市の南州神社で初めて見て、
西郷さんの器用さに僕も妻も
びっくりしたものです。

10 ジオラマ
「西郷の奄美での生活は、
31歳から36歳までの5年間です。
初めの3年間は、入水後の潜居で、
後の2年は、徳之島、沖永良部島での
入牢生活でした。
西郷は一言も言い訳をせず、
苦難の中で精神を鍛え、
偉大な人格をつくりあげました。」

「混迷の時代 西郷、討幕へ導く」
「文久3年8月の政変〜禁門の変まで」

「新しい国づくり(薩長連合)」
「1866年薩長密約、坂本龍馬の裏書。
1867年倒幕の密勅。
薩長連合に活躍した人々。
坂本龍馬・中岡慎太郎。」

12 ジオラマ
「慶応4年(明治改元9月8日)1月、
京都を目指して進撃して来る
15,000人の旧幕府軍を、
西郷の率いる
4,500人の薩摩・長州連合軍が、
鳥羽・伏見で迎え撃ちこれを破りました。
2月14日、
官軍は、錦の御旗をかかげて京都を出発し、
徳川慶喜征討のため江戸に向かいましたが、
西郷は、東征大総督府参謀として、
この軍を指揮しました。」

13 ジオラマ
「官軍の江戸総攻撃は、
慶応4年3月15日と決し、
江戸市中の混乱は
蜂の巣をつついたようでした。
この危機を目前にして、
旧幕府の陸軍総裁勝安房は、
西郷隆盛参謀と会見、
両雄は誠意をもって話し合い、
西郷は大英断をもって、
総攻撃中止を命令しました。
江戸百万の民は兵火を免れ、
4月11日、江戸城は無血開城しました。」
徳川慶喜から駿府にいる
西郷への使者を命じられ、
この二人の会談の
お膳立てをしたのは、
勝と同じ幕臣の山岡鉄舟なので、
彼の功績も少しは表に出ても
良い気はしますが、
やはり西郷と勝は有名人ですからね(笑)
1階の展示はここまでで、
続きは2階になります。
(続く)