豊川海軍工廠平和公園/旧第三信管置場

 

ガイドのNさん

僕たちのガイドをしてくださったのは、

Nさんという、

僕たちより少し先輩の男性です。

この方、

めっちゃ凄い人でした。

その一例を挙げると、

AIを使い、

どこで爆弾を投下すれば、

目標に命中したのかがわかる

B29の爆弾投下のイメージ図を作成し、

素人にも分かるよう、

優しく説明してくださった事です。

しかもこのイメージ図は、

YouTubeで動画も見られるという、

きめ細やかさには、感服しました。

ちなみに風力・風向を除外した場合、

B29の高度が6,000m、

時速400kmの時、

目標の4km手前で投下すると

命中するようです。

平和交流館の女性スタッフの方も

「Nさんは当館の頭脳なんですよ」

こんな意味合いの事を言われていましたが、

僕も全くの同感です。

当初は13時30分からの

ガイドツアーに参加予定でしたが、

時間が押してしまい

14時30分からのに変更したことが、

Nさんとの出会いを

導いてくれたのかも知れません。

とにかくラッキーとしか言いようのない、

ガイドツアー参加でした。

名古屋大学豊川キャンパス

豊川海軍工廠平和公園は、

名古屋大学豊川キャンパスの一部を

豊川市が公園として整備したもので、

お隣には今でも

名古屋大学の研究所があります。

海軍工廠当時の街路灯。

この先に見えるのが・・・

名古屋大学のキャンパスで、

ここでは、

太陽の黒点を研究しています。

(ガイドさん談)

ここには案内板もあるので、

全文を書き出します。

「豊川海軍工廠の戦争遺跡」

「豊川海軍工廠跡地は、

戦後に工場団地、陸上自衛隊駐屯地、

大学の研究施設などに

生まれ変わりましたが、

工廠当時の名残を戦争遺跡として

今も見ることができます。

本公園に隣接する

名古屋大学豊川キャンパスは、

昭和22(1947)年に

空電研究の場として

空襲被害を逃れた工廠施設を

再利用したのがその始まりで、

戦時中の工廠施設や500ポンド爆弾の

着弾穴、本公園内にあるものより

規模の大きい防空壕跡など、

戦争の痕跡を様々な形で残しています。

(名古屋大学豊川キャンパス内の

戦争遺跡は、冬季の見学会で

見ることができます)」

海軍工廠跡地が、

戦後、名古屋大学に

「使用される」ことで、

開発の手を免れ、

遺跡がそのままの状態で残された

幸運な例だと言えます。

筑波海軍航空隊の跡地が、

戦後病院として使われた事で、

多くの遺構が残ったのと

同じ類のものですね。

先に防火水槽跡(手前)と

先に巡った旧第一火薬庫

右奥は平和交流館です。

旧第三信管置場

ツアー御一行様は、

旧第三信管置き場へと向かいます。

建物を囲む「土塁」。

外から見ただけでは、

お城かと思ってしまいます(笑)

この土塁についての説明がこちらです。

「建物を取り囲む土塁」

「豊川海軍工廠の北側エリアには、

生産品の機銃の弾丸などで使用する

火薬類を取り扱う建物が多くありました。

これらの建物には

土塁に取り囲まれたものがありますが、

これは爆発事故が起きた際に、

周囲に被害が及ばないように

するためのものです。

本公園及び隣接する

名古屋大学豊川キャンパス内には、

このような建物を囲む土塁が

数箇所残っており、

土塁内外の基底部にコンクリート側溝を

設けるもの(Aタイプ)と、

土塁の外側には側溝を設けず

(素掘り側溝が存在した可能性はあります)、

内側の建物側に石組みを備えた

素掘り側溝を設けるもの(Bタイプ)が

あることが分かっています。

また、土塁内外には

トンネルを介して出入りします。

Aタイプは幅が広いトンネル、Bタイプは

幅が狭いトンネルが設けられています。

この二つの土塁構造は

同時期の工法差ではなく、

建設時期の差によるものと思われ、

AタイプがBタイプに

先行すると考えられます。

この旧第三信管置場の土塁はBタイプです。」

平面図を拡大。

Bタイプのトンネルから中へ。

「旧第三信管置場」

以下、全文です。

「この建物は、弾丸の起爆装置である

信管を保管した施設と考えられます。

建物を高さ約5mの土塁で囲み、

土塁内には南側のトンネルを介して

出入りするようになっており、

これは爆発事故が起きた際に、

周囲に被害が及ばないようにするためです。

建物規模は、東西21.00m、

南北10.00mで、

東西方向の廊下の北側に

三つの部屋が並びます。

建物構造は、壁と廊下の屋根を

鉄筋コンクリート造としますが、

部屋の小屋組(屋根を支える骨組み)は

木造となっています。

これは部屋内で爆発事故が起きた際に、

木造の屋根を吹き飛ばすことにより、

鉄筋コンクリート造の

躯体を残す工夫と考えられ、

建物周囲の土塁とともに、

豊川海軍工廠では火薬類を製造した

多くの施設に多く見られる建物構造です。

各部屋の南北両側の壁上部には

照明器具が設けられており、

電球の交換は通気口のある

部屋外部の扉を開閉して行う構造で、

室内側はすりガラスで密閉されています。

これは照明器具が発する熱を、

室内に入れないため工夫と考えられます。」

地下壕でもよく見られる

「爆風を逃す工夫」がここでも

取り入れられています。

やはり強い相手に対し、

「力をいなす(やり過ごす)」ことは、

爆弾だけでなく、

一般社会の「上司」に対しても

必要かと思います(笑)

ここでガイドさん曰く、

「日本の一間は1.8mですが、

海軍はイギリス式なので、

2mを採用していますから

広いのですよ」

戦争している国の基準を

戦時中も使っていたとは、

ちょっと面白いですね。

一部屋目。

戦時中は工廠で、戦後は、

名古屋大学で使用されていた機械。

案内を書き出すと以下になります。

「豊川海軍工廠で使用されたと考えられる

フライス盤と旋盤(名古屋大学寄贈)」

「ここにある2台の機械は、

名古屋大学空電研究所

(現宇宙地球環境研究所)で

観測用機器の製造や補修等のため

使用されてきたものです。

右側が横フライス盤

(切削加工を行う工作機械で、

刃物が回転して切削を行う)、

左側が旋盤

(切削加工を行う工作機械で、

フライス盤と違い

製品が回転して切削を行う)で、

取り付けられているプレートから、

横フライス盤は昭和16(1941)年、

旋盤は昭和17(1942)年の

製造と考えられます。

当時としては高性能な機械であり、

海軍工廠の使用機器を戦後に

払い下げを受けたものと考えられます。」

「渦巻ねぢ送リハねぢ切左右送リノ」

この文字に戦前を感じますね!

機械の先の壁の電灯に注目。

先ほどの案内にあった照明器具です。

「電球の交換は通気口のある

部屋外部の扉を開閉して行う構造で、

室内側はすりガラスで密閉されています。」

この通りですね!

こちらが外部の電球交換口で、

恐らく当時のままのものでしょう。

爆発に対して細心の注意を払う気持ちが、

事故を未然に防いだ(多分)事を思えば、

やはり準備は大切だと痛感します。

次の部屋。

ガイドさん曰く、

「天井の位置がずれているので、

ブロックで調整しています。」

思うに当時の職人の多くは戦地に行き、

熟練工が少なかったのでしょう・・

窓から土塁の高さを確認。

土塁上から建物を俯瞰。

ガイドさんの説明では、

「左側の屋根は当時のものですが、

右半分は、経費を抑えて作った

簡易的な屋根なんです」との事。

半分でも見られれば、

それでOKでしょう!

土塁天辺から見た景色。

今はのどかな光景しかありません。

土塁全景。

防空壕跡

次に防空壕跡へ。

「防空壕跡」

「豊川海軍工廠の敷地内には、

空襲に備えた防空壕が

各所に設けられていました。

幹部職員が使用した

鉄筋コンクリート地下室構造の

防空壕もあったようですが、

多くは素掘りで天井を木材で組み、

その上に土を盛った簡単なもので、

至近弾に対してほとんど無力なものでした。

この説明板の左右にある

窪んだところは防空壕の跡です。

発掘調査の結果、全長4.5m、

幅1m、深さ1.2mの長方形の本体に、

二箇所の出入口が屈折してとりつく

コの字形の平面形であることが

確認され(右側の防空壕)、

掩蓋(天井の覆い)が

無かった可能性もあります。

公園内には、同じ構造の防空壕が3

基残っています。

「動員学徒の日記より」

「今日初めて爆弾の落ちる音を経験した。

ザーッと言うがはやいか

ドドーンバンバンとすごい音だ。

こんな音を掩蓋のない防空壕で

ブルブルふるえながら聞いた。

二度目の音は、掩蓋のある防空壕で聞いた。

私達だけ掩蓋がないのだ。

ほんとにしっかりした

安全な防空壕が欲しい。

人の防空壕へ頭をペコペコさげて

入れてもらうなんて、

何てつまらないだろう。

(豊橋高等女学校の大林淑子さんの日記より

昭和20年5月19日の

豊川海軍工廠空襲の記述)」

ガイドさんの説明によると

大林淑子さんは、

その後8月7日の空襲で、

犠牲となられたそうです・・・

防空壕といっても

ただの溝に隠れるだけとは、

驚くとともに悲しすぎます・・

防空壕跡。

もう一つの防空壕跡。

やはり、

「ただの側跡」ですよ・・・

ガイドツアー終了後ツーショット完了。

中部国際空港へ

15時30分、ガイドツアーは終了。

ここからはひたすら中部国際空港

(セントレア)を目指しひた走ります。

豊川海軍工廠平和公園から

バジェットレンタカーへ。

途中、おやつ休憩を挟んで(笑)

約2時間ほどで帰着。

その後お店の方に送ってもらい、

無事空港に到着。

中部国際空港、

なりはデカいが(笑)

内部の作りは至ってシンプルなので、

とても使いやすい空港です。

あとは福岡空港まで爆睡するだけ(笑)

ジェットスターのキャンペーン料金と

ベストな発着時間が実現した、

知多半島&渥美半島を巡る旅、

ジェットスターには改めて感謝です!

 

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