立花家資料館(福岡県柳川市)

 

ドラマティックが止まらない

立花宗茂の生涯は、

まさにドラマティックそのもの。

大友氏の重臣、

高橋紹運の子として生まれ、

その後、紹運の同僚、

戸次道雪(べっきどうせつ)の養子となり

立花山城城主として島津と戦い、

豊臣政権下で、秀吉に認められ

柳川城主となり、大友氏から独立、

その後小田原攻め、文禄・慶長の役など

数々の戦役で活躍後、

関ヶ原の戦いでは

豊臣秀吉への恩義を重んじ西軍につき、

京極高次が守る大津城を落城させるも

本戦での東軍の勝利により

改易され浪人となるが、数年で

徳川家康からも重宝がられる存在となり

1万石で大名に返り咲き。

さらに

関ヶ原の戦いから20年後、

旧領の柳川藩主として復帰。

最後の戦いは「島原の乱」で、

総大将(上使)松平信綱の

補佐というから

戦国から江戸時代の

生き字引みたいな人。

その後、立花氏は明治維新から

令和の今まで続いている・・・。

やはり

ドラマティックが止まりませんね(笑)

大河ドラマにするには、

マニアックな人物なのかも知れませんが、

立花山城近くで育った僕としても

是非実現してほしいものです。

御花(おはな)

立花家資料館は、

藩主邸である御花の一角にあります。

案内図。

そして、立花家資料館の前で

躊躇したのは、

一人700円という入場料(笑)。

価値観との兼ね合いから

入らなくてもいいか?

そう思った矢先に、昨日書いた

雷切丸との出会いがあったのです。

雷切丸の演舞を見て、逸話を聞き、

雷切丸という「刀」が気になった僕たちは

700円というハードルを

高々と越えていました(笑)

そして、入館。

エントランス。

展示目録。

室町、桃山時代から

江戸時代末期まで、

その数と内容はかなり濃いもので、

ここまで詳しく書かれていると

嬉しくなりますね!

漫画の力は絶大(笑)

宗茂&誾千代。

フラッシュを使わなければ

館内撮影OKというのも有り難し!

金箔押桃形兜

(きんぱくおしももなりかぶと)

案内によれば、

宗茂が一隊全員に揃って

着用させたと伝わり、

江戸時代300頭あったものが、

今でも200頭ほど残っているそうです。

木製置盾。

頑丈そのものですね!

家紋について。

元は大友氏から与えられた

杏葉紋を使っていて、

その後、祇園守紋になったとの事。

その祇園守紋も少しづつ変遷を重ね、

現在のデザインが確立したのは、

7代鑑通(あきなお)の時代と

書かれています。

大友氏からの完全独立を

家紋によって表現したのかも知れません。

立花宗茂像。

承応三年(1654)の作ですから

宗茂没後、10年ほど経ったころ

描かれたものですね。

立花宗茂所用の品々

ここには多くの

宗茂が使っていたものが展示され、

宗茂を身近に感じられます。

鉄皺革包月輪文最上胴具足

(てつしぼかわづつみがちりんもん

もがみどうぐそく)。

立花宗茂が桃山時代に

使っていたものと書かれています。

宗茂さん弓の名手でもあり

免許皆伝されています。

鉄砲。

この火縄銃の名前は「黒縄」。

銃底には和歌が刻まれています。

オリジナリティあふれる鉄砲ですね!

「金白壇塗色々威具足」

(きんびゃくだんいろいろおどしぐそく)

復元イメージ。

「このイメージは

「金白壇塗色々威壺袖」をもとに

宗茂ともゆかりの深い

大友宗麟の所用と伝わる

「白壇塗浅葱糸威腹巻」【重要文化財】

(大分県柞原八幡宮所蔵)を

モデルに作成しました。」

このように説明されています。

沖の石図蒔絵組盃。

祇園守紋蒔絵脇当。

こんな細部までがオリジナルとは、

ビックリしますね。

観音菩薩立像(懸仏御正体)。

お守袋のの中に

ミニ観音様が入っています。

杏葉紋蒔絵櫛箱と櫛。

一節切(ひとよぎり)。

初めて耳にする言葉だったので、

調べてみました。

「尺八の前身ともいわれる

真竹製の縦笛で、

節が一つだけあるのが

その名前の由来である。

(Wikipediaによる)」

その他の展示

数多くの展示があり、

その一部を抜粋しているので、

カテゴリー分けが難しく、

「その他の展示」としています。

宗茂の養父、戸次道雪像。

宗茂が養子になった時に家督を継いだ

立花山城上空からの写真と

その周囲にあった筑前の城。

ここからは刀剣と甲冑。

刀 無銘 伝兼光。

案内によると

「(前略)備前長船の刀工

兼光の作と鑑定されている。

(中略)

戸次道雪が常に指料としていた本刀を

初代・宗茂が譲り受け、

いつも合戦に用いていたと伝える。

(後略)」

このように書かれています。

こちらが、僕たちをここに誘ってくれた

戸次道雪が雷を切ったという、

「雷切丸」ですよ!

伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足。

(いよざねぬいのべくりいろ

かわつつみほとけまるどうぐそく)

立花宗茂所用のものです。

兜の丸い輪っかは、

前述した

鉄皺革包月輪文最上胴具足は

「月輪」でしたが、

「仏丸」とも言うのですね。

これで一つ知識が増えました(笑)

十二代藩主の甲冑に注目。

祇園守紋があしらわれ

実にカッコいいのですよ!

こちらは祇園守紋があしらわれた駕籠。

名前は

「梅唐草祇園守紋蒔絵女乗物」。

江戸時代のお雛様。

これ以外にも人形など

多くの展示がありましたが、

きりが無いのでここで終了です。

おまけの情報

御花のサイトで知ったのですが、

僕たちが行った1ヶ月後、

入館料は1000円となっていました。

人を呼べないこのご時世ですから

止むに止まれぬ事と思いますが、

何から何まで

タイミングが良い夫婦です(笑)

 

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