2017/10/16

徳重(とくしげ)神社(鹿児島県日置市)

 

妙円寺(みょうえんじ)詣り

鹿児島県の三大行事の一つである

妙円寺詣り。

読めば、お寺にお詣りする

行事だと思いますが、

さにあらず(笑)

お寺に詣ると言っているのに

詣る先は何と神社なんです。

言う事とやる事が全く一致していないし〜!

例えて言うなら

会社に行くと言って映画館に行くみたいな、

友達の家に泊まると言って

彼氏の家に泊まるみたいな、

そんな、もやもやする

鹿児島県を代表するような行事って

いったい何なんだ?

という思いが僕の徳重神社との

関わりの始まりです。

「妙円寺詣り」とは何か?

少し長くなりますが、

以下の実話から来た行事です。

1600年、関ヶ原の戦いにおいて

西軍に味方し負けた薩摩軍は

西軍が崩壊し敵だらけの戦場から

脱出する際に、

敵に背中を見せて逃げ戻るのではなく、

東軍の総大将、

徳川家康の陣地の近くを通り、

家康の四男松平忠吉はじめ、

井伊直政、本多忠勝ら

家康の精鋭部隊と戦い、

前進しながら撤退するという

離れ業を成功させ、

指揮官だった島津義弘は

鹿児島まで帰り着きました。

その時、薩摩が取ったのが

「捨て奸(すてがまり)」という戦法です。

この戦法とは、

本隊を逃がす為に、兵士たちは、

相手側を向き立ち止まり、

座って鉄砲で撃ち、

鉄砲を打ち尽くしたら刀で戦い、

自分が死ぬまでその場所から

一歩も下がらないという壮絶なもの。

この「死に役」を所々に置いて、

敵が手こずっている内に

本隊を逃がすというものなのです。

この島津義弘はじめ、

薩摩藩士の勇猛さ極まる偉業を忘れず、

忠孝に励もうという思いと、

関ヶ原を忘れず、精進しようという

考えから、鹿児島市内(照国神社)から

島津義弘の菩提寺である

妙円寺までを歩いて詣るという

行事が出来たそうです。

しかし、その妙円寺は、明治維新後、

神仏分離令により廃仏毀釈の憂き目にあって

廃寺とされ、その跡地に

徳重神社が建立されたのでした。

だから、気持ちは「妙円寺」

現実は「徳重神社」にお参りするという

事態になったのが「妙円寺詣り」なのです。

あ〜説明が長かった〜(笑)

徳重神社へ

日置市伊集院(ひおきしいじゅういん)町に

鎮座する徳重神社。

ここが妙円寺詣りで賑わう境内か〜

と思いながら静かな参道を進みます。

手水舎には当然のごとく丸十マークが。

八角形の手水鉢は珍しいですね。

先ほど書きました妙円寺詣りの意義が、

詳し〜〜く書かれていました。

と、そのとき、

いきなり歌が流れてきたのです!!

な、なんだ〜?

その正体はこのスピーカーと

人感センサーです。

「妙円寺詣りの歌」

この歌を歌いながら20キロ歩くそうです。

まさか、ずっと歌い続けている

わけでもないだろう

と思っていたら

この歌、何と二十二番までも

歌詞があるのです!!

だからスピーカーの歌も

いつ終るとも知れないもので、

僕たちが参拝している最中の

かなり長い時間流れていました(笑)

歌に圧倒されながら(笑)参拝。

丸十マークの賽銭箱に○円を入れて

先人の遺業に思いを馳せ…

いや自分のお願いをしてしまったかも

知れません(笑)

御朱印が貰えればと思い

社務所を尋ねましたが誰もいませんでした。

こちらは本殿。

Wikipediaによるとご神体は

精矛厳健雄命

(くわしほこいずたけをのみこと)

(島津義弘のことです)の

出家姿の木像とあります。

しかし、この木像は廃寺になった後、

別の土地に再興された

「妙円寺」にあるそうで、

妙円寺のサイトには

「ご神体はこちらです」という

案内があったので、

そこにも参ろうとカーナビに入れたのですが

住宅街をぐるぐる回ってしまい、

遂に発見出来ず、

またの機会に行く事にしました。

そして、

いつものツーショットも忘れません(笑)

この後、神社の周辺を散策。

島津義弘が83歳で亡くなった時、

殉死を禁止されていたにも関わらず

13名の薩摩藩士が主君の後を追って

殉死しました。

その地蔵塔の案内文が書いてある碑です。

こちらが13ある地蔵塔。

妙円寺だったころに建てられたものです。

島津義弘という人は

こんなにも慕われていたのですね…

合掌

そして、廃仏毀釈の名残も散策しました。

捨てられた仁王像。

今は、ちゃんと立てられています。

こちらは馬頭観音像。

廃仏毀釈が激しかったと言われる鹿児島で、

よくも砕かれずに残っていたものです。

裏山の墓石

こちらも妙円寺時代からのものと

推測される墓石群。

明治初期に吹き荒れた

廃仏毀釈という時代の嵐にも

生き残っていた墓石たち。

長くここにいて欲しいものですね。

今日の癒し

拝殿で風に吹かれる紙垂(しで)

夏の心地よい風が

僕たちの心を癒してくれました…

あっ!僕が撮影する姿も

ガラスに写っていますね(汗)

 

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Comment

  1. 田中東太 より:

    また、お会いしました。伊集院は私の実家なのです。現在の妙円寺は、神之川のほとりに、禅宗寺として少し小さな寺があります。明治以前は、徳重神社境内が妙円寺でした。

    • tabibito1722 より:

      田中様 コメントありがとうございます。
      実家が伊集院とは、島津義弘公との
      ご縁も深いのですね。
      妙円寺、私も再チャレンジして
      参ってみたいものです。

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