まのひ(青戸)飛行場跡・トーチカ

 

未完成&未使用

大東亜戦争(太平洋戦争)末期、

日本の沿岸部には、

急ごしらえのトーチカや蛸壺陣地が、

無数に造られましたが、

全て未使用のまま風化していっています。

未完成のまま80年以上残されている

まのひ(青戸)飛行場跡のトーチカも

その一つで、

もし本土決戦となり、

これらが使用されていたら、

国は滅び、

今の形の日本は無かったでしょう・・

戦争は始めるよりも

終わらせる方が、

はるかに難しいというのは、

歴史が証明していますが、

日本という国は、

満身創痍になりながらも

最後は何かに守られたのかも知れません。

その何かとは、

やはりご英霊の魂でしょう・・か・・

トーチカ(1号)

知覧から南下して頴娃(えい)町へ。

畑の中にポツンと残るトーチカ。

まずは、案内を確認します。

「まのひ(青戸)飛行場跡

トーチカ(防御陣地)

所在地 頴娃町上別府

寸法 周囲12.9m 高さ2.7m」

「上別府地区には、

「まのひ(青戸)飛行場」がありました。

「まのひ飛行場」は、

青戸・加治佐間の通称「加治佐原かっちゃばい」の

約200ヘクタールの土地に

建設されましたが、

未完成のまま終戦を迎えました。

「トーチカ」は、

「強兵共が夢のあと」を物語る

唯一のもので、

畑の中に今も苔むして

ほぼ完全な形で鎮座しています。

六角形で砲眼(銃眼)があり、

直径4メートル、高さ2.7メートル位の

未完成の陣地でした。

またこの先の農道を

東へ約300メートル入った

右側沿いの雑木林の中には

完全な形のトーチカが残っています。

平成9年3月

南九州市教育委員会」

この案内の補足になりますが、

「まのひ」という名称は、

「枕崎の飛行場」

(まくらざきのひこうじょう)

からの由来のようですが、

陸軍はこのような略称を

暗号?として使用した例は

いくつかあり、

大阪の高槻市にあった

陸軍の巨大地下倉庫は、

「高槻の地下倉庫」

(たかつきのちかそうこ)

で「タチソ」(こちらはカタカナ)と

呼称されています。

暗号にしては安易だし、

敵にすぐバレそうですが、

開戦当初から日本軍の暗号は、

アメリカに解読されていたので、

結局はどうでも良かったという事でしょう。

田んぼには入れないので、

畦道を遠回りして、

テクテク歩きトーチカへ。

到着。

砲眼(銃眼)から中を覗いてみます。

入口は一箇所。

外観の凸凹からして資材枯渇が

よく分かりますね・・

入口は思った以上に大きく、

僕の体でも簡単に通過できます(笑)

剥き出しの木の板。

やはり物資がなかったのでしょう・・

続いて妻も侵入(笑)

窓の手前下のコンクリ台は、

銃座でしょうか・・・

敵を待つ身であれば、

脇汗どころか、

全身汗まみれで緊張するはず・・

この時、

筑波海軍航空隊記念館で入った、

ペリリュー島の洞窟体験を思い出しました。

こちらは筑波での一場面です。

真っ暗闇の中、

上陸してくる米軍を

緊張して見つめる妻。

窓の形も「まのひ」そっくりですね!

窓からは、

一幅の絵画のように

美しい風景が広がって見えます。

日傘を銃に見立てて

トーチカ内から撃ちまくる妻。

これも平和だからこそできること、

未来永劫に平和な日本であるよう、

願って止みません・・・

トーチカ(2号)

次に案内に書かれていた

「完全な形のトーチカ」の捜索へ。

正確な地図がないので、

先人の記述と、

自分の勘を頼るしかありません(汗)

お〜見つけた!

完全形の方は、

ちょと埋まっているようです。

資材の品質も良く、

ガッチリ感もあって、

先ほどのよりも

高品質であることが分かります。

内部に入って入口を撮影。

こちらは先ほどと違い、

這いつくばるほどにしないと

中に入る事が出来ません。

銃座も綺麗ですね!

天井のコンクリは六角形で

美しく仕上げられています。

銃眼から外を見ると、

ここでも美しい風景が・・・

と思いきや、敵兵現る!?

ピースサインする敵兵(笑)

トーチカ内部での

レアなツーショットで散策は完了です。

 

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