震洋特攻基地跡(鹿児島県聖ヶ浦)

 

ポケットと言えば・・

震洋特攻基地跡は、

「聖ヶ浦ポケットパーク」として、

公園化されています。

「ポケットパーク」という

可愛らしい響きからは、

特攻の悲劇を連想することは難しく、

ポケットと言えば、

どうしてもポケットモンスターを

連想してしまう僕がいます(汗)

為朝伝説

聖ヶ浦ポケットパークには、

平安時代末期の武将、

源為朝伝説の石もあります。

駐車場のすぐ後ろがその場所です。

石&案内。

「為朝伝説」

以下、要約です。

「平安時代末期の弓の名手、

源為朝は、保元の乱(1156年)に破れ

伊豆大島に流され

そこで自害したとされています。

しかし、伝説の為朝は、生き続け、

初代琉球王になったというものがあり、

琉球へ落ち延びる途上、

この聖ヶ浦に辿り着き、

ここにあった大石(腰掛石)に腰掛け、

船を待っていたといわれています。

また、その船に乗り込む足台として

使ったといわれる石

(足洗石)もあります。」

ここに展示された石がどちらなのか、

はたまた、似た石なのかは、不明ですが、

北海道に落ち延び、

ジンギスカンになったという

伝説を持つ源義経と共に、

源為朝にも多くの「伝説」があります。

かつて訪問した熊本市の六殿ろくでん神社、

大分県玖珠町の末廣神社でも、

為朝さんへの敬慕を感じる

逸話が記されていたのを思い出します。

義経と為朝、

二人に共通するもの、

それは戦には滅法強いが、

政治力には欠ける所でしょうか。

そんな欠けた部分が、

愛おしくなるのが人情というもの。

なので、お二人とも

伝説だらけになったのかな?(笑)

震洋模型(石造)

次に本来目的の震洋へ。

案内碑と震洋の石造模型。

「震洋隊基地跡」

以下、全文です。

「ここ聖ヶ浦には、第2次世界大戦末期に

悪化する戦況のなか、

昭和20年(1945)本土決戦に備え、

海軍第125震洋隊が配置されました。

震洋の由来は「太平洋を震撼させる」

からといわれています。

出撃が行われる直前に終戦を迎え、

幸いにも隊員約180名は

無事この地を離れました。

「震洋艇」の構造は、

ベニヤ張りのボートに

トラックのエンジンを積み、

艇の先端部分には爆薬を載せたものでした。

スピードは時速42kmほどと

伝えられています。

相手の船めがけ、隊員ごと体当たりする

いわば人間兵器です。

鹿児島県内では、坊津、片浦、

野間池、長崎鼻、喜入など

18か所、全国に114か所、

中国・台湾・フィリピンまで含めると

146か所に基地が作られました。」

ベニヤ板のボート・・・

もはや鋼材も枯渇した日本では、

これしかなかったのでしょう。

真横から見た石像震洋艇。

斜め上から。

「石」で製作したことは、

実に慧眼だったと感じます。

メンテしなくても

数百年は残りますからね!

震洋特攻基地跡

模型を見た後は、

海辺の基地跡へと向かいます。

ここを右。

入江が見えてきました。

この方向が基地跡です。

往時はここにたくさんの震洋が

浮かんでいたのでしょう・・・

ここの基地にいた方々は、

幸いにも終戦で命を長らえられていますが、

震洋で散華された隊員も

多くいらっしゃいますので、

手放しで喜ぶ気分にはなれません・・・

柵の上のスズメのオブジェと特攻基地。

実はこの近くに

こんな地名があるのです!

「スズメが浜海水浴場」

なんか、平和でいいな・・・

 

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